今日、浅草六区で念願の映画の第三部・完結編を観る。
<大菩薩峠>東映・1959年・内田吐夢監督・主演/片岡千恵蔵
原作は
言うまでもない、中里介山。
確か40数巻の大作で、しかも未完の作品だ。
作者が勤めていた<都新聞>に大正2年に新聞小説として掲載されて毎日新聞・読売新聞に引き継がれ、先の大戦中まで執筆された。
この映画は、活火山がかねてから興味があったものだが、昨年11月、活火山の千恵袋ことO氏と馬券買いと久方ぶりの浅草で安酒を飲むことになった時、その浅草場外馬券場の向かいにある<浅草名画座>の上演予定の看板で発見したプログラムだ。
12月に第一部、第二部、そして本日完結編の第三部を観たことになる。
勝手に映画の感想を。
主人公<机竜之介>に<眠り狂四郎>の原形を観るようだ。
また冥府魔道の狭間に生きる<子連れ狼>の<拝一刀>にも同様なものを。
<柴田錬三郎><小池一夫>もあるいは<机竜之介>の存在を知っていたのかもしれない。
これ、活火山の推理。
こんな推理を想像しながら、帰途へ。
それにしても、第一作目は1959年以前恐らく、1957年か58年。
今からおよそ50年前、昭和32年だ。
昭和32年は、岸内閣が成立、ソ連が人工衛星を打ち上げたのもこの頃。
映画はまだカラーが珍しい頃だったと思う。
そのカラーも<総天然色>表示だ。
恐らく、フィルムに直接着色をして定着処理をしたレベルの世界だろうと想像する。
その所為か、第一作目は、セット撮影と屋外ロケ撮影の色調や肌理の違いが気になる状態だが、第三作目になると、製作技術がかなり進歩したのだろう。
違和感が解消されている。
この時代の<物作り>に賭ける、日本の技術者や職人の努力や情熱を感じることができる。
キャストが面白い。
脇を固める<山形勲><左卜全><月形龍之介><沢村貞子>らの顔がその晩年の顔とあまり変わりが無いことに驚かされる。
台詞回しも、晩年(後年)の役回りの頃とあまり違いが無い。
ということは、彼等の役者としての力量が既に、50数年前に完成されていて、そのまま40数年を役者として走りきったという事か。
この発見は活火山にとって、驚きと感動物だ。
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