台湾海峡が対中国戦の最初の主戦場

台湾海峡黙示録

台湾海峡黙示録の台湾海峡と西太平洋への海の回廊

2005年

はじめて「台湾海峡」を意識したのは2005年にgooブログの投稿を始めた頃で、時代はyoutubeの黎明期。

それまでは書籍でしか目にしないキーワードとしての「台湾海峡」を意識したのは、米ソ冷戦を勝利したレーガン政権後のフォード(父)大統領時の1992年フィリッピン・クラーク海軍基地を米軍が引き渡した時のことでした。

以来、フォード、クリントン、ブッシュ政権まで、冷戦終結モードが固定化されて以来、意識を切り替えることなく、中国の行動を静観した時とかさなる。

バシー海峡

「山本七平」の評論から彼の終戦はルソン島であったことを知り、その延長上に戦時中の日本輸送船団がバシー海峡で米潜水艦攻撃により壊滅、船の墓場とまで言われた海域が「バシー海峡」であることのキーワードに出会ったのもこの頃のはず。

台湾海峡から、西太平洋への回廊に該当するのが、宮古海峡(宮古水道)とバシー海峡で、この三海峡の主戦場が台湾海峡と南シナ海というのは、戦史のアウトラインから浮かび上がる。

・南シナ海から西太平洋へ潜行したまま航行できる潜水艦の戦略的海洋回廊

・国際政治が米ソ冷戦終結後のモードに切り替えができないでいた

・中国は南シナ海の米国海プレゼンスの空白を見逃さなかった

こうした環境から導かれるキーワードが「台湾海峡」であり「バシー海峡」であり「南シナ海」で、そこを今、中国がわがもの顔で、この海域を自国の内海化しようとしている。 つまり力による原状の秩序破壊でだ。

櫻井よしこ著「異型の大国」

「異型の大国」にあった記述

よしこ著「異型の大国」2008年4月に上梓された。

記憶が正しければ、その中で、「関西の金型製造企業が中国進出し、撤退を余儀なくされ、撤退するとき、生産設備の撤収が中国政府により不可能であることを知り、撤収の際には、金型製造ノウハウが中国側にわたるリスクを恐れ、ノウハウの心臓部を復旧不可能な状態にして帰国した」ことが紹介されていたと記憶する。

kazanは、当時はまだ日本で生活しており、ラジオかテレビの対談、あるいはYou Tubeのコンテンツで知ったものでしたが、日本人心意気を感じさせる話題で、記憶に鮮明です。

映像としてのSNS・youtube

2008年と言えば、ようやく一部のネットユーザーに「youtube」というキーワードが一般的になった頃である。

当時、保守系チャンネルは今ほど多くは無く、それでも少ないチャンネルでは、若手の経済評論家や複数の言論人が「後数年で中国は崩壊」「中国経済崩壊」を熱く、声たかに発信しており、それは2010年にもなれば、崩壊確実モードで受け止められたが、それがすべてハズレたことは衆知の通りだ。

逆にリーマン・ショック越え主導、原動力にもなったような中国は、これをバネに一層肥大化を進化させた。

ある評論家が紹介した切り口

それは、米国が中東・アフガンで戦争中、中国は、せっせと南シナ海の岩礁を埋めて洋上基地可を果たし覇権力を高めていたと。

しかし、中国の海洋覇権は、それより前に、水資源コントロールで、政治的スタンスを強化・深化させていた。

東南アジア、南アジア諸国の水源である巨大大河上流のチベットに巨大なダムを建設して水源コントロールを可能した。

チベットに水源をおく二つの国際河川水流

その大河が、メコン川(ミャンマー・ラオス・タイ・カンボジア・ベトナム)であり、ガンジス川(インド・バングラデシュ)で、河川流域の農業灌漑用水や生活用水をダム設置者である中国の手に委ねられた現実がある。

さらに、地理的には中国南西域のチベット、つまり西域の奥地には軍事用戦略ミサイル基地群が配置されている。

つまり、水瓶の管理人が意図的にその水量を悪意をもってコントロールすることで、中国は下流域の国家の生殺与奪権を握った状態になったということだ。

中国がどれほどの国で、そこに、どれだけに信頼を置けるのが、当時の先人はそれを看過して現在にいたっているということだ。

ネタが現実になった一帯一路

2008年当時はお笑い領域のネタであった一帯一路プロジェクトは、2015年末には設立し、一帯下では、スリランカのハンバントタ港が99年の租借、ミャンマーではチャウピューで深海港の開発 パキスタンではグワダール港の海洋拠点化、アラビア半島紅海の対岸国ジプチには人民解放軍初の海外基地であるジプチ保証基地を建設した。

仮に欧州軍の海上ルートでインド洋に向かう時、スエズ運河〜紅海からインド洋に出ることになるが、スエズ運河の延長上・紅海とインド洋の境目にあるのがジプチ保証基地で、人民解放軍海軍の基地が要塞化してる現状は、西側陣営には愉快なことではない。

台湾海峡黙示録

いくつかの歴史的条件、国際政治やパワーゲームの焦点がアジアより中東、アフガン、バルカンに向いている時、アジアには確実に危機の火種がくすぶっていたと言える。

それ以上に、リーマン以降の中国を見るなら、彼らは、巨大国際資本に格好の呼び水を提供した。

それは、投資環境としての中国政治経済制度だった。

共産党一党独裁によるすべての制度は、巨大な投資環境で米ドル投資効率に関して、ミラクルな成功プログラム提供し続けた。

・国家の統制下での投資に誤謬は無い

・短期間に投資リターンが確実になり、その再投資を無限なものした。

・この制度下で、近現代経済史を通じて、これほど楽で、確実、高効率な資本投資ははじめてのはず。

かくして、投資家は利益を、全体主義国家計画経済制度下の優位性は、政産軍が太り、富国強兵を確実なものにした。

黙示録

2020年、武漢発中共ウィルスが世界ン拡散された。

このパンデミックの終焉後、世界の光景は変わるはずと想像する。

その変わる光景の一つに「戦争」を排除できない。

台湾で生活してるが、連日、午後から夕方4時にかけて、軍用機が放つ轟音を聞く。

ある起点の歴史のエネルギーが歴史の胎動になる

世界史が好きなkazanの持論が、「歴史のエネルギー」であり向かう方向が「そのベクトル」と勝手に思っている。

もし、kazanがその戦争を主導できるなら、ナチスもビビったクロアチア国・クロアチア人を主戦場の主役に抜擢 したいくらいだ。 人権派リベラルは青ざめるまでもなく敗走する光景がkazanの机上にある安い水晶玉に映る。

まさに、黙示録だ(笑)

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