半世紀以上前に視聴していた城達也のラジオ番組
昨夜と言うより、今朝未明ですが、絞った音量でジェットストリーㇺを視聴デス。
学生時代は毎晩24時にFM東京で毎日オンエアされていた番組ですが、今は、当時の音源をYoutuberさんがコンテンツ化して配信されているようです。
巧みに、なつかしい城達也さんの音声を挿入させたコンテンツは、当時のオンエア版を視聴しているような趣があって好きなコンテンツです。

コンテンツの作成者は同世代の方で、おそらくカセットにエアチャック(録音)されたコレクションを所蔵されていて、音声を挿入したものだということを想像しますが、半世紀以上にわたり、ライブラリーを愛蔵されていたということに敬意を表したい気持ちです。
メロディーは耳コピでインプットされていても。。
youtuobe化されたことにで、曲名を失念しても、10代から20代の時に耳コピとしてインプットされた懐かしいメロディーが流れると、画面には、控え目な位置に曲名と演奏者が記載されており、それを見て、忘れていた曲名を再インプットさせ、また懐かしさが、ひとしおになりハマります。
どうやらここが、おGGのお気に入りの部分のようです。
記憶を刺激する二曲
さて、今日話題にしたい曲はモーツアルト・愛よ永遠に・レイモン・ルフェーブルとアルフレッド・ハウゼの青空です。
クラッシクの曲は、もし間違っていなければ、「♪~ミレレ~♬」で耳コピされていたのを、曲名チェックが叶いましたデス。
アルフレッド・ハウゼの碧空
「碧空」にタンゴの曲としての、関連を含めた二つの思い出がありまして、終戦二年目に生を受けたKazanおGGの東北の雪国・秋田市での中学時代の記憶をフラッシュバックするのです。
当時の秋田での音楽環境といえば、KazanおGGの場合、日常的にラジオから流れる音楽が主役で、歌謡曲は白黒テレビの歌番組、当時流行っていた日活映画を見ての主題歌が一般的であったという時代背景・環境をと想像してみてください。
カルチャーショックのハワイアン・アロハオエ
アロハオエ
今流で言うならカルチャーショックでしょう、Kazan少年は音楽に関して奥手で、それが顕著でした。
中学時代のカルチャーショックの最初が、中一時代の音楽の授業で、音楽室のステレオ装置から流れた「アロハオエ」でしたですね。
おそらく、音楽教師が音楽情操教育の一環で、本物のハイファイ音、いまでいうならオーディオを体験させるという趣旨であったと想像できます。
始めた聞いたハワイアン
雪国ですので、冬は鈍よりとした鉛色の空が多い環境で、初めて聞かされた「アロハオエ」には度肝を抜かれる程のカルチャーショックでした。
抜けるような明るさ、ゆったりとした波が浜辺に寄せるような、今で言うなら、ビキニ姿に腰ミノを付けたスタイルのイイ美人のフラダンスをするシーンが勝手に想像できるような訳で、空が抜けるようなブルーが全開であるのが、聴いている音楽から勝手に想像できたのデス。
Kazan論的には、あの感性があって、後年日本人の多くがハワイ旅行に向かった動機が分かるような気がします。
初めて聞いたタンゴ
二点目のがタンゴです。。。
東北の田舎育ちで、ジャズやラテン系の洋楽音楽ジャンルとしては、上述の音楽の授業で知ったハワイアン程度で、「タンゴ」は全く未経験の音楽ジャンルでした。
全校生が体育館に集合
いわゆる状況は、大分ひなびた我が中学の体育館に、何かの行事で、全校生が各人の教室のイスを持参して体育館集合です。 こういう時はだいたい最低でも一時間位のスケジュールですが、いうなれば音楽の生演奏を聴かせるという趣旨で、リラックスを念頭にしてのイス持参であったはずです。
正面のステージにはブラスバンド部員が勢ぞろいです。
日頃より、ブラバンとは、自分が三年次に応援団員であったので、多少の接点があり、行進曲かその関係あたりの演奏だろうと思っていました。
そして指揮者は、これまた、スキーで場で顔見知り音楽教師の島 先生の、ブラバンの顧問です。
ラ・クンパルシータの衝撃
彼がタクトを振った瞬間、椅子から転げおちそうになるほどの仰天の演奏のラ・クンパルシータでしたが、むろん曲名など最初は知るはずもありません。
いつもは辛気臭い行進曲や、校歌、応援歌、市民歌、県民歌、国歌しか演奏しないと勝手に思っている田舎の中学の応援団員です。
それが聴いたことのない、「タンゴ」というもので、「ラ・クンパルシータ」の独特の音色とリズム、テンポの曲がブラスバンドの吹奏演奏音楽で、まさに「ジャンチャッチャチャ~ン♬」で始まるや、ぼろい体育館のステージに近い部分の窓ガラスが管楽器の全開演奏音の反響音でビビるのが体感できるほどの音量で演奏します。
驚き、驚愕仰天のカルチャーショックを体験したKazan少年でした。
それが中三の秋口の筈です。 体育館は暖房がありませんから、冬場に集まって演奏というような非人道的な行事はしないはずデス。。。(^^)
秋田の音楽喫茶・タンゴ
タンゴのラ・クンパルシータに続くカルチャーショックが、おそらく三年時の2月か3月頃の、音楽喫茶タンゴと言う名の喫茶店に入った時にいきなり聞いたタンゴの名曲「碧空」です。
実は、高校受験も終わり、大人の歓楽街ある川反界隈で不良がてら、行きついた袋小路の奥にあったのが一軒の喫茶店で、入り口前の店の立て看板に書かれた「タンゴ喫茶」の文字に魅かれての入店でした。
アルゼンチンタンゴ・碧空
今にして思えば、あれはきっとアルフレッド・ハウゼの「碧空」であったに違いない。 kazan少年、タンゴの洗礼はラ・クンパルシータで学習済ですが、初めて聴く「碧空」はこれまた別格で、しかも飛び抜けた極め付きの衝撃でした。
店員さんに、これ何という曲か教えていただき「碧空」と知った瞬間です。
瞬間、青い空の情景が見えた
曲名を聞いて、本当に抜けるような青空が完全に脳裏、思考に広がるイメージが見えた瞬間であったからだろうと記憶します。

「青」への願望のはじまりか
東北の雪国の1月2月なら、空の色はほとんど毎日、鉛色、青魚色の重く空間の上部を覆ているのは普通の光景です。
そうした環境から、「青」にたいする執着、願望がきわめて顕著で濃厚になるようです。
それだけに、初めて聞く「タンゴ・碧空」聞くだけで、青い空の光景が勝手に想像するくらいの条件反射が生理的な習性なるという起点であったとも想像できます。
かくしてKazan少年の「青」好き、「青」揚げ、「青押し」が中学時代に確立したように、今夜、改めて認識できたような気持からの投稿発信になりますデス。
以来、青、紺碧、濃紺、緑青がおGGの人生に付いて回ります。。。(笑)


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