サハリン訴訟のアウトライン

調べてみた

ある弁護士がいる。

有名な弁護士で、麹町国際法律事務所で恐らく代表弁護士だと想像する。

高木健一弁護士の弁護士登録は1973年・東京第二弁護士会所属です。

サハリン訴訟に興味を持ったキッカケ

吉田清治証人がサリン訴訟の証人に。。

高木健一弁護士が関与した二件のサハリン訴訟で、慰安婦強制連行・慰安婦狩りの著者であった吉田清治が証人として証言台に立てたのは、1982年、高木健一弁護士の法定が証人質問する東京地裁だった。

証人に起用された理由

終戦後、ソ連領になったサハリン地区で、ソ連と北朝鮮都の外交関係はあったものの、外交関係なかった韓国に帰還できなかった韓国人が多数いた。

サハリン訴訟取り残された韓国人は、戦時中に朝鮮半島から強制連行された半島出身者で、帰還できなかったことでの個人賠償を日本政府に求めるという構図の訴訟。

そのためには、強制連行をしたとする証言者必要だったので、1977年、「朝鮮人慰安婦と日本人」が出版されて、話題になっていた吉田清治が証人に起用された。

裁判は膠着状態

日本戦後補償裁判総覧というPDFのがネット上でヒットする。

これを見ると1972年の福岡地裁からはじまる一連の日本の戦後補償の一覧を確認でき、

その中なに都合4件のサハリン関係があり、内二件に高木健一弁護士が弁護人の一人なっている。

埋め込みを試みましたがガードされておりますのでリンクを貼ります。

名称は「サハリン残留韓国人補償請求訴訟訴状」1990年8月29日にリンクがあり、→日本戦後補償総覧(WEB)の中で参照が出来ます

過去記事のリンクや挿入した動画が削除

キワードとして、舘雅子・元東久留米市議、大高未貴、サハリン訴訟はヒットします。自身のブログで残っていたのはgooブログだけでした。

kazanの記憶では、サハリン訴訟に関する舘雅子しの証言・トークでは、「当時、四谷上智大学の近いところのビルに高木弁護士が所属する事務所があって、。。。」「そのとなりに、土井たか子氏の事務所が。。」

これを、音声で視聴した時に、異常な程の興味を持った記憶があり、現在複数のブログチェックしております。

サハリン訴訟

1975年12月1日に東京地検1975年12月1日に東京地検に訴状を送付し受理され、1989年6月15日に取り上げた訴訟は、高木健一弁護士が弁護団に名を連ねたサハリン訴訟は、他に1件、弁護団に名を連れていないサハリン訴訟は他に2件ある。

最初の訴訟は、弁護人を選出しない本人訴訟の形式で東京地裁に、1,974年1月最初の訴訟は、弁護人を選出しない本人訴訟の形式で東京地裁に、1,974年1月16日に訴状を挙げているが却下さえている。

池田信夫氏・アゴラブログ

サハリン訴訟はサハリン残留韓国人の戦後個人賠償で国を被告として賠償請求を求める裁判として知らており、池田信夫氏は自身のブログで明確に「慰安婦問題はサハリン訴訟から始まった」と投稿している。

上段までの環境情報を踏まえ、池田信夫氏のブログ情報を確認されれば、理解は容易でだと想像できる。

以上から見えてこと

・高木健一弁護士 1973年東京第二弁護士会登録

・弁護士登録後1975年は、初めて弁護人を専任したサハリン訴訟の弁護団の末尾に名前が記載されている。

・弁護団は、17人からの大弁護団。

・この訴訟を政治的思惑から側面?サポートしたのが日本社会党といわれている。

・顛末の概略は、池田信夫氏のアゴラブログを参照されたい。

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