仕様書のスペックオーバーのメモリでも走った13年前のノートPC

memo

トータール2GB(仕様書)に4GBメモリを無茶込み

正直、1回目、BIOSの立ち上がりで、二回通電が切れた時は、覚悟の上と思っても、少なからず焦った。

本来は最大メモリは、1GBメモリx2枚で合計2GB仕様のPC。

とりあえず2枚の2GBメモリの一枚を元の1GBに差し替え、今度は合計3GBで挑戦し。

不安と期待でオロつきながら、スィッチオンでBIOS呼び込み画面が立ち上がり、ここまでくれば、行けると踏んでそのまま続行すると、linuxMintがいつものように立ち上がったの一安心。

タスクマネジャーのインジケーターは、従来の2GB時より、メモリ使用量は少なり、SWAP使用量はほとんどゼロ状態。

ちなみに今回のPCは、NEC LaVie LL750/JG, 32bit の当時はvistaOSのノートPC。

改め再度4GBに挑戦

3GBでかなりの安定性を確認できたことで、再び実装中の1GBを2GBに差し替え、4GBに再挑戦。

スイッチオンで、今度はすんなり立ち上がり〜BIOS呼び込み画面まで、従来より素早く進行できるので、そのまま実行する画像は、立ち上がり後のディバイス確認を呼び出した画面のスクショ。

Linux特有の端末(ターミナル)画面(cuiとも言う)で、windowsのデバイスマネジャーを起動しした時のような内容をCUI上から読み込んだもの。

詳しくは知らないが、従来に増して、動作が軽くなり、換装中の2枚の2GBメモリを認識してるので、素人考えで、「まずはヨシ」と判断した。

これで気を良くしたので、近々、中古のデュアルコアCPUのインテルT7200、T7400、 T7600あたりに交換を検討中。 うまくすれば、軽目一杯の64bit Linux が可能かも知れない。   幸いなことに、台湾では中古(二手・セコハンの直訳)市場で容易に、日本円で300円〜500円程度で入手可能だ。

だいそれた事のきっかけ

以前に、AUSUノートのあるモデルのメモリ量が気になり、メモリ交換を検討したことがある。 あるページで、本来2GBとか4GBがMAX

言われた時に、いきなり8GB入れたという紹介記事がトップ画面でヒットし。それができるなら、やってやれないことは無いと踏んだ。

正直、音楽観賞用にKONALinux環境で、音楽再生専用マシンにしていた経緯もあり、つい遊び心が持ち上がったからだ。

2つの話を紹介したい

本来、「CPUの能力もさることながら、マザーボードのBIOSチップの仕様で最大メモリ使用量が決定される」事程度の認識で行ったことなので、取り立てて投稿する必要もないのですが、「PCとて、単なる道具で機械」という認識を再確認する上で必要な情報の一つと考えた。

東日本大震災時、東電福島原発では、津波により非常用発電機の使用が不可能になり、全電源喪失状態になった。

近隣近県からおびただしい台数の発電機・発電車が集められたが、送電側受電側のコントの形状がkとなり、送電が不可能になったので、すべての車両は解散帰投したという。

送電側と受電側のコンセントを破壊しライン直結すれば事足りる問題であった。。

台湾台中に住んだ時の5階建て、ペントハウス分も入れて6階建ての集合住宅に住んだ時に、トイレと一緒になった浴室のドーナッツ型の蛍光管を交換した時のショックは忘れられない。

カバーを開けて、切れた蛍光管を外した時にグローランプを見て絶句した。

グローランプがソケットに収まっているどころか、本線の先端がそれぞれが鋭角なV字型に曲げれており、その部分にグローのオス側の二本のプラグ状の突起を直結していた。

台湾の一般のワット数は110W。

ナーバスなkazanは、ブレーカーを落として作業した記憶がある。

あとで考えてみれば、浴室の外にある、通常のスイッチを切るだけで感電リスクは無いのですが、日本より10ワット強いワット数にビビったからのこと(汗)

全車両の送電プラグを破壊してむき出しにすれば。。

送電側と受電側のラインを直結させれば、簡単に処理できたはず。

後に、仮に100台〜500台、さらに1000台の充電車両の送電プラグの交換費用を補填したとて、大した金額ではなかったはずだ。

作業だってリスクは無いはず。

なぜなら、受電側のコンセントは、全電源喪失状態で死んでいる状態であり、送電側は、発電機を停止することで、感電のリスクも無く、この場合は素手でも作業はできる。

以上は数カ月前に、高橋洋一教授が動画コンテンツで福島のエピソードを紹介された時に、とっさに自身の台中時代の経験を重ねたものだ。

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