JFKの卒論・ネヴィル・チェンバレンの宥和政策

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ネヴィル・チェンバレン

 

ネヴィル・チェンバレン首相

ノーベル平和賞を受賞した英国のネヴィル・チェンバレン首相は、ヒトラーとムッソリーニに対して宥和施策を取ることで、受賞した。

宥和政策は1938年9月のミュンヘン協定に至るまで「ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与え、ヒトラーに対し、イギリスから近隣諸国への侵攻を容認されたと勘違いさせた」といわれている。

第二次世界大戦の引き金になった、一連のチェンバレン首相の政策は、後年、ケネディ大統領の卒業論文のテーマになった事を記憶する。 

奇しくも米ソ冷戦時代、ソ連のフルシチョフが引き起こしたキューバ危機に、核戦争も辞さずに、キューバを封鎖し、フルシチョフにキューバへのミサイル設置を断念させたことで有名なケネディ大統領の決断と歴史的評価を得ている。


その時の大統領の意思決定の背景に、自身のハーバードでの卒論が背景でオーバーラップしたことは十分に想像できる。 つまり、第二のチェンバレンになることへの葛藤・逡巡があったかもしれない。

後世への教訓


興味深いことは、21世紀のオバマ米国大統領は、同じ民主党の大統領ですが、ケネディ大統領とは間逆な外交判断をし、奇しくもチェンバレンの首相と同様平和賞を受賞した。


チェンバレン首相の時代は英ソ仏米のわずか4カ国で、地球上の地面のなんと58.7%が支配されていた時の筆頭国で、言わば当時の世界秩序の形成者だ。 

平和賞受賞の不幸は、同様に世界秩序の形成者でありながら、21世紀の宥和政策で、50年以上続いたを壊したことだろう。

オバマ大統領の外交

チェンバレンの宥和政策を他山の石としたかどうかはkazanには不明ですが、
・イラクからの撤退
・シリアへの消極的な介入
・イランへの譲歩
・ロシアのクリミアの併合譲歩
・ロシアとウクライナの紛争消極的な介入

等が、isilのテロ許容し、難民問題を引起し、中国の南シナ海岩礁に造営した埋め立てした島を領土としての実効支配を傍観するという取り返しの付かない歴史的負のスパイラルにつながったと見れる。

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