「侵略」と「侵攻」・その違い

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はじめに

ロシアのウクライナ侵攻が始まって一週間が過ぎ、露軍の思惑でと言われたいた、短期間にウクライナの首都キエフを攻略して、停戦というシナリオがくずれている。その背景にあるのが、ウクライナ軍反撃とウクライナ国民に抵抗、それに西側諸国の足並みが揃い始め、武器・弾薬の援助と対露経済制裁とその目玉であるSWIFTしすてむからのロシアの排除がある。並行して、政府の発信に微妙な違いが見られ、その顕著なのが「侵攻」と「侵略」の使い分けだ。

露軍のウクライナ「侵攻」が「侵略」表記に変わった

日本政府の発信を見る限り、何かと批判の的になっている、そして本件にもっとも関与していいる岸田総理が、2022年2月28日あたりから、それまでのウクライナへの露国の侵攻という表現が、「侵略」に変わった。

同時に、これも就任以来、ネット空間では批判の集中砲火を浴びたような林芳正外務大臣も「侵攻」を「侵略」言い換える一幕もあり、その意味で、政治、とりわけ国際政治の世界では、正確な線引があるように思えたので調べてみた。

侵攻

侵攻は国連の定義には無いようだが一般的に他国への軍事的行動そのものという概念と認識

侵略

国連の「侵略の定義に関する決議」1974年

侵略について「国家が他国をの主権、領土保全もしくは政治的独立に対してなす武力行使」と定義」

1974年といえば、ベトナム戦争終結というより、サイゴンが陥落し米国がベトナムから撤退したのが1975年4月30日であるので、その1年前ということになる。

ちなみにサイゴン陥落時の米国大統領は、第38代ジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニア大統領。一般的にフォード大統領と言われており、

ウィキでは、

1973年にスピロ・アグニューが副大統領を辞任した後、大統領の指名と上下両院の承認を得て副大統領に就任した。これは史上初のケースである。さらに翌1974にはリチャード・ニクソンの大統領辞任を受けて、大統領に昇格した。現職として戦った1976年の大統領選挙には敗れているので、2021年現在、大統領選挙に勝利して選出されたことのない唯一のアメリカ大統領である。

Wikipdeia

侵略行為の存在が決定されれば。。

定義した国連安保理は、

有る武力紛争などに「侵略行為がの存在を決定」すれば、その紛争に対して軍事的・非軍事的な強制措置ををとる」

参考・出典

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