戦略的曖昧さ・Strategic ambiguity

調べてみた

戦略的曖昧さ

「戦略的曖昧さ・Strategic ambiguity」は数年前から、米国外交のフィールドでヒットするキーワードだが、いつ頃から、したり顔で一般的に使用されたものかに興味がいく。 

米国外交の「おはこ」とばかり思って、ぐぐると、結構な歴史があって、しかも米国外交の専売特許でもないような内容がヒットします。

つまり社会科学的世界では、「社会的経験の社会学」というものがあって、その世界での思考上で生まれた、あるいはようきゅうされた思考のアプローチ手法のような印象だろうと想像する。

ITの世界で「ファージー」なるキーワードが出現したのは、kazanの例でいうなら、

・二進法を知ったのが、1968年頃

・体感的認識したのは、電卓を使用し始めた、1970年頃

・「ファージー」なるものの存在は、PC98(NEC)を触るようになった1985年前後だろうと記憶

「ファージー」

それまでは、大学の文系講義で「電算機概論」があって、劣等生の鑑的kazan学生が講義でインプットできた唯一に近い存在が二進法で。

つまり「0」「1」を電気信号の「プラス」「マイナス」に置き換えて、計算する数学的論理、文系的にいうなら、「白」「黒」を明確にする世界の思考そのもの。

しかし、この「ファージー」の登場で、「どちらでもない」「どちらの範囲にも属さない」「曖昧な部分」という世界が存在することで、「物事がなめらかになる」という、極めて、観念的な論理が、理数系の世界に混入したのが「ファージー」。

日本語の概念では「玉虫色」の世界、まさに「濡れ烏の緑の黒い羽」の世界です。

米国の戦略的曖昧さ

当時(1985年前後)はすでに、社会科学的用語、特のビジネス、経営戦略的分野では、耳慣れない用語が氾濫した時代でした。

出版業界などは、米国発の経営学者や、社会科学者の著書を発刊すると飛ぶように売れた時代でした。多くの私大の商学部は、「経営学部」に看板替えが終わった時代にはいっていて、アホの先頭を地で行くkazanなどは、学部がモロその経営学部卒でしたので、強迫観念もあって、乱読した時代です。

それが顕著に出たのが、ベトナム戦争で敗色が濃厚でありながら、正確な意思決定ができず、あの米軍が、ベトコンを主力にする、北ベトナム軍との戦争に敗北して、1975年4月30日ベトナム戦争・サイゴン陥落を喫した。

社会科学的用語が生まれる時の背景

言葉が文化である以上、時の時代てきニーズがあるはずと独断。 つまり流行語の背景には社会の様々な光景があって、それを表現しようと試みる時、生まれるという要素は排除できないだろう。 試みるのは若い世代であったり、メディアであったり、学術系の世界であったり、宗教家の世界であったり多様のはず。

それが拡散されて、結果、年末の「流行語大賞」とかのイベントが創出される。

ベトナム戦争で敗退した米国

米国にとって、サイゴンの米国大使館からヘリで、沖合の米海軍艦船に避難して、サイゴンから撤退するという事態で、米国が味わった苦汁は、やがて、時として「曖昧さを前面に出す」ことで、相手や周囲にそれぞれ、彼等に都合の良い理解を与えることを、学習したはずだ。

それを「戦略的曖昧さ・Strategic ambiguity」とすれば、英文表記のStrategic ambiguityは様になるわけで、これが昔なら、ラテン語、ギリシャ語の表記のようなもので、日本近世までの歴史でも、紐解けば実例は多く散見されるに違いない。

つまりは、米国弱さを起点したもので、日本流で言うなら「御政道」の都合のよさ、使い勝手があってのことだろう。

起点は米国の弱さであり、使ってみたら、意外と使い勝手がいいし、下世話な表現で言うなら便利な◯のような存在になって市民権を得たものだろうと想像

トップのアイキャッチ画像

画像は「戦略的曖昧さ」でヒットしたWikiから無断拝借したものだが、中国が南シナ海にせり出した状況が確認できるので、1992年のスービック基地(フィリピン・ルソン島)撤退以降ののものと想像する。

画像再載

1992年頃

■キッシンジャーの訪中が1971年、

■日中友好関係樹立が1972年

■ベトナム戦争は1975年4月のサイゴン陥落で終了して、すでに中国進出がアツくなり始め、日本経済はバブル環境下全開モードです。

■1979年台湾関係法・ジミー・カーター大統領

米国金融資本にとって、ウォールストリートの投資会社のプランナーが、マルチプランかエクセルで、投資計画とマトリックス、シミュレーションを作り上げ、ビジネスマンが、プラン実行上の隘路を抽出し、米法務スタッフが合法性をチェックし、抽出された中国制度上の隘路を、経営ハイレベルが、中国共産とを抱き込むことで隘路を利権化すれば、パイが大きいだけに、利益は、表計算通りの展開が、簡単に、面白いほど実現して、しかもノーリスクのマーケットが過去三十年の中国市場の特性だった。

美味しい時代です。。。

こうした背景があって、「戦略的曖昧さ」は自立し、用語としてのステータスをゲットしたと言える。

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