はじめに
宏池会は官僚系のDNAを持つ自民党の派閥で、その評価の頂点は、池田勇人内閣時代の「所得倍増計画」が一点、巨星のような存在感を放っているのが唯一の売りのような派閥で、多くの大蔵省・財務省出身者が多いのが特徴。
池田勇人-前尾繁三郎-大平正芳-鈴木善幸-宮沢熹一-加藤紘一(谷垣 禎一)-堀内光雄-古賀誠-岸田文雄の流れが宏池会本流で、途中にかなり微妙な河野洋平が有名な「加藤の乱」前後に浮上するが、結局は河野洋平は、派閥の親方にはなれず、村山富市(社会党)首班の連立政権で官房長官になり、酷評され続けている「河野談話」を世界に向けて発信したのが村山政権時の河野洋平官房長官だ。
激動の時代に宏池会の領袖が総理総裁になった時、日本の政治はあるゆる場面で翻弄される危惧が予見されるが、岸田文雄政権が誕生する前後から、そのことを断片的に発信した記事が2年あまりで20与件になっており、記事のデーターベース化を気に懸けたいた経緯があったことをご紹介したい。
お公家集団と揶揄されるくらい、勝負、戦い下手で、喧嘩もできなければ
毅然とした国家観が希薄してる印象を周囲に振りまいている。
消えては燻ぶる大宏池会構想
つまり、所得倍増計画を打ち上げた池田内閣を除けば、派閥のスケールの割に、チマついている部分がありで、「お公家さん派閥」と揶揄されてきた。
それでいて、現在同じDNAの麻生派との合同を視野に入れた「大宏池会」を打ち鳴らす向きもあり、その時には、谷垣グループも参入した「大宏池会構想」的夢想もありやに聞いている。
大平正芳時代の宏池会を一般の人より数センチほど深く知り得る環境にいたことで、同派閥の雰囲気を多少なりともその機微にふれる機会もあり、それだけに、そこに脆弱さを見てきた経緯があり、国家観、勝負感、切り込み感の弛さをモロ出しにした宮沢熹一政権が、その典型のような内閣であったことを記憶する。
ただ、幸いであったのは、宮沢熹一政権は、日本社会がバブル時でもあり、国内的な問題、地政学的脅威がほとんど表面化しないという極めてラッキーなバックグランドがあったことだろうと想像できる。
しかし令和の日本は激動の真った中にいるという現実がある。 その意味合いでは、岸田文雄政権が誕生前後から最も危惧したことは、宮沢熹一政権のコピーのような政権になりそうなことが予見できたことだろう。
外務大臣経験の長い岸田文雄総理であるが、ようは、史上最長の第二次安倍晋三政権時代に安倍晋三総理による、首相官邸主導の外交で、官邸と外務省調整機能として長期の外相就任歴が目立つ部分を避けられない。
つまり安倍外交の番頭役であったと見るべきだろう。
その器は、高市早苗氏が総裁選出馬を決めて、明瞭で簡潔、発信力は力強い内容、前例のない歯切れの良さを前回にした出馬声明で、先行組の岸田、河野両候補はそれぞれが数日前に発信した陳腐な内容を訂正するような事態を演じざる得ない状況で、両名の馬脚を露わにした経過を多くの自民党支持者が忘れていない。
削り投稿・岸田外相時代
削り投稿・自民党総裁選前後
ウクライナ戦が始まった・岸田政権発足半年
岸田総理発言・「留学生は国(日本)の宝」発言の頃のアホ発言の極み
■■■2023年11月21日現在本稿はまだ未完で、あと残り10件の記事リンクの挿入を予定中。。
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