台湾で初めて買ったサンマの記憶
どや顔で、日本の味を教えるアホな日本人が居るのは事実です。
もう12年以上前に台湾高雄にワープし、午前中に中央公園の近くの市場に行くと、露天の魚屋さんが皿に山盛りのサンマを100NT$で売っていました。
百台湾ドルです。。 当時のレート感覚では日本円で350円くらいか?
身は少々細身でも10匹なら、一本35円なので割安感があり、それを購入して、帰りがけに途中の市場で大根を買ったことを覚えています。
台湾人流・サンマの食べかた
日本なら、一皿に、塩降りで焼いた一本のサンマと脇に大根おろし置いて、これが一人分のサンマを食べる作法ですが、台湾人ファミリーなら、少なくとも3人か5人、あるいは、仮に自宅の円い回転版が乗った中華式円テーブルに8人前後の人が座っても、サンマが一本、良くて二本が大根おろしも無く一皿に置かれるが普通です。
そして、食べたい人が、自分の前までテーブルを回転させて引き寄せ、自分で食べようとする分量を箸で、ほぐして食べるスタイルです。
台湾から三陸沖はかなりの遠洋
上述の通りで、円テーブルに全員座るケースでも、サンマは一本か二本なので、基本的に、絶対量としてのサンマの需要量は人口比からしても、少量とみこまれます。
少ない台湾の需要量では、燃料代をかけて、持ち帰っても、さほどには売れない市場構造なのです。
そういう事情から、台湾の漁船は、獲ったサンマを中国に水揚げするか、あるいは台湾領の馬祖島か金門島で載せ変えて、中国に売り渡す様子が想像できる根拠です。
誰がサンマの味を中国人に。。
台湾人が知ったサンマの味は、日本統治時代に、覚えたものだとしても、漁自体は、戦後のある時期から台湾人が取得したもので、基本的に台湾では海洋漁業がさほど盛んな風には見えないことから、なんで台湾で、かような痩せたサンマを行商のような形で市場に出てのかが理解できなかった。
そして1年後の頃、高雄市からバスで小一時間ほど南東に行った距離にある漁港の東港・華僑市場に行った時に、あることを知ります。
その市場には、高級魚が主役で、水揚げしたばりの近海の高級魚と輸入もののサーモンやマグロも並んでいました。
サンマの乱獲
中国人に「秋刀魚の味」を、台湾人が教えたに違いないと確信したが、現在の日本近海の三陸沖合いのさらに東の公海で乱獲をするのは、中国漁船団である報道を知ったときです。
しかも、成魚にならないサンマを日本人が獲らないことは、中国人や台湾人は完全に見透かしています。
結果、中国漁船による乱獲を逃れて、成魚になったサンマが日本近海に泳ぎ着き、それを漁にするのが日本漁船だろうと想像できます。 そして、昔のような水揚げが確保できないことから、いつしかサンマが高級魚になった構図がここにあります。
それゆえに、中国漁船の乱獲よりもかなり以前に先行したのが台湾漁船という構図が見てきます。
絶対量として需要量が見込めないにもかかわらず、三陸沖の公海まで出漁した台湾漁船の目的は、基本的に中国向け需要がであってのことと見るべきです。
また、このステージで中国人サンマの味、そして日本流の食べ方を教えたのが台湾人ということになりそうです。
中国人は基本的に淡水魚
中華料理の魚料理は、圧倒的に油で揚げてそこに、片栗粉でとろみのある醤油味の8「あん」がかかっているのが代表的です。
焼いて食する調理法は少ないはずで、当然ながら、刺身などはあり得ません。
40年ほど前に、家族と中国に戻る前の、つまり古き、良き時代・英領時代の香港でソコソコ食道楽的旅行をしたことがあります。
当時の定番の海鮮の船上レストランや、九龍城先のカイタック・啓徳空港の東手にあって、地域の地名は失念しましたが、当時は、有名な海鮮市場兼レストラン群が居並ぶ一帯でした。
そこを十分に探訪した経験でも、そこでの豊富な海水魚介類を、生食できるメニューはまったく無かったのを記憶します。
日本人が美味しい味を教えてしまった不幸

つまり、日本の味を教えたのは、すべて日本人なのです。
まさに禁断の味です。
おもてなしの味の極致を、もっとも教えてはいけない、禁断の味を、しかも必要としていない、深遠な文化と言える味を、最も教えてはいけない人に教えてしまったという、不幸の極みが音声に入っております。
埋め込んだ音声は、2024年7月29日のYoutubeコンテンツ「あさ8」で有本 香氏が先鞭を切ったトークが「日本の美味しい味を教えたが為。。」の恨み節の二分足らずの部分お音声をトリミングしたものです。

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