ニーチェは嫌い
「世界の名著」は、中央公論社が1966年から1976年にかけて刊行した全81巻の叢書でした。その最初、第一回の配本が「ニーチェ」でした。
知的好奇心の旺盛な50年程前の事を記憶しています。
当時、親父のツケで、好きな本を購入しても良かったいつもの書店で手にしたのが世界に名著「ニーチェ」でした。
家に帰り開いたページが、有名な「ツァラトゥストラ」です。
「神々は死んだ」で始まる「ツァラトゥストラ」は、軽薄なkazanを一瞬にして虜にしました。
二行目移行を読んでも、これが日本語かと思うほどkazanには難解で、数分後にはハードケース入りの第一回の配本・「ニーチェ」は本棚を飾る本になり、現在に至っております。
以来、kazanの場合、「哲学」とはかなり無縁な人生を歩みました。
お陰で、かなり人生で遠回りをしたような気分のきっかけになった「ニーチェは嫌い」です。
2017年4月29日・産経抄
「どういう人間を下劣だと言うのか。-いつも恥ずかしい思いをさせようという人間を」。韓国を、基本的価値を共有する国から除外した安倍晋三内閣の外交方針はもっともだ。
で終わる、今日の産経抄はズドーンときましたね。
「どういう人間を下劣だと言うのか。-いつも恥ずかしい思いをさせようという人間を」は産経抄によれば、ニーチェの言葉だそうです。
いい文章ではないですか?
感動モノでした。
喜々として、終わりの無い不毛の「反日」を繰り返す、懲りない韓国を言い当てたのですから、軽薄なkazanはコロリです。
ひたすら日本に嫌がらせをし、辱めたいだけなのだろう。韓国の市民団体がソウルの日本大使館前の慰安婦像横に、新たに朝鮮人徴用工の像を設置する計画を進めている件である。反日にかける執念におぞけをふるう。
で始まる書き出しには、そんじょそこらキャッチコピー、糸井重里真っ青の訴求力を感じます。
おぞましい韓国の執念
韓国人の終わりなき反日のエネルギーと執念には日頃より違和感を通り超えて、もはや異常感を感じております。
そのような概念の世界に追い込む、韓国人をまさに的確にニーチェの言葉が解析してくれたのですから、まさに脱帽、感極まった状態のkazanです。
これを読みながら、ジャーナリストで報道カメラマンの宮嶋茂樹氏のブログの中にあった一節、「他人を貶めることにかけては、朝鮮人の右に出る民族はいない」がkazanの海馬の中を縱橫に走ります。
「モーツアルトはお好き?」というセリフがあったような気がします。
今「ニーチェはお好き?」と言われたら「ニーチェは好きす」と返答します。
反日・左翼が卒倒・発狂するような今日の産経抄の一読をお勧めしたしたいkazanです。
全文のリンクです。

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