西部邁さん「自裁」に深まる謎に目が行く=産経紙読後感

保守言論人

「自裁」

自裁死

西部邁氏の入水自殺でにわかに、注目をされた表現であることはネットサイトのweblioの検索結果のトップにある記事の説明からも見えてきます。

 

 

読み方:じさいし

自らの生涯に決着を付ける、引き際を自ら選ぶという意味合いで命を絶つ死に方を指した言い方。

この「自裁死」という表現は、2018年1月に入水自殺を図ったと見られる死を遂げた西部邁の死を表現する言い方としてしばしば用いられている。西部邁は生前、死ぬときは自分の意思で死ぬ意向があることを周囲に漏らしていたという。

もともとは「自裁」という言葉そのものにも「自害」や「自決」と同様「自ら死ぬ」という意味が含まれる。その意味では「自裁死」は重言とも解釈できる。
(2018年01月29日更新)出典 weblio

 

二十年以上に渡り、kazanの人生に大きな影響力を与えてくれた友人で先輩格のO兄が、いわゆる新宿・「河田町の西部邁」という範疇の中で、しばしば酒席で話題にされていました。

時には罵り、ある時には西部氏への畏敬を話し、いわばタダ酒をゴチされる関係上、ふんだんに傾聴した経験から、西部邁氏の入水自殺は、単にテレビで知っている「あの人」という認識にはなれない思いがして、なかなか、この領域に立ち入ることがはばかれていました。

 

そうした事あり、西部氏の自決、自裁に関しては、自身が運営するブログやfacebookページ「台湾海峡黙示録・改」への投稿に抵抗があり、わずかに、自身のfacebookアカウントのタイムラインへの投稿にとどめていたのですが、少々目を引く記事が今週頭の19日に、産経紙より報道があり、取り上げてみました。

 

西部邁さん「自裁」に深まる謎 口の中に瓶、体にロープ 留守電に異音 タクシー使わず移動?
東京都大田区の多摩川で入水自殺したとされる評論家の西部邁(すすむ)さん=当時(78)=の死をめぐり、さまざまな謎が渦巻いている。生前から自らの死について語り、現…

ハーネスをつけて入水自殺

入水自殺に、本来安全確保のハーネスの使用はあまりにも突飛だと言えます。

捜査関係者によると、川の中で見つかった西部さんは工事現場用のハーネスを着用。そこから長さ20~30メートルのナイロン製ロープが伸び、土手の樹木に巻かれていた。

産経紙

 

その死に方により、第三者に「自決」「自裁」とまで言わせるようなある種の美意識にも似た生命の断ち方を選択する人物には、あまりにも似つかない情景ではないでしょうか?

 

ハーネスを着用

そのハーネスが岸辺の樹木に繋がれてい

溺死だが、大量の水は飲んでいない

口にはフィルムケース大の空の瓶が挿入

 

自裁の決行の確認された最短時間の時系列の不自然さはには推理小説ものではないですか?

同居し、著述記述作業を口述させていた長女と新宿のバーで新宿のバーを訪れ

21日午前0時ごろ、西部さんが「人と会う約束がある」と言って長女を先に帰宅させた。約1時間後、長女の携帯に西部さんから着信があり、留守番電話に「ザー、ザー」という音だけが残されていた。

 

現場から発見された5通の遺書はワープロソフトで書かれていたが、普段は長女が口述筆記しており、長女のパソコンを使用した形跡もなかった。

ろありました。

 

ワープロ書きの5通の遺書

これだけの状況が揃えば、誰が見ても事件ものです。

ハーネス、ロープを用意して、コインロッカーにでも予め置いていたのでしょうか?

かなり無理があります。

ハーネス、ロープだけでも、その重量は最低でも15キロ前後で、それらを収納したバッグは、小さく見積もっても、小型コインロッカーにどうにか収まるような大きさになり、タウン用デイパック・リュックでは無理です。

現物を見れないから単に想像ですが、小型キャリーケースでもギリギリだと推理します。

 

そして、膨大な著書を持つ78歳の故人が、どこで、密かにワープロを打ち込んだのでしょう?

 

さらに、それを、自宅、書斎。事務所デスクの引き出しの中などではなく、多摩川べりの現場の岸辺に置くのは、あまりにも陳腐で不自然で、僭越、さらに失礼ながら、「美感覚」がほとんど見えてきません。

 

昭和14年生まれの78歳

西部邁氏の東大学生時代には60年安保があり、これを主導した全学連は反-代々木派、つまり反日共系です。

 

安保闘争はすでに故人となった唐牛健太郎氏が全学連の委員長で、東大の共産主義者同盟(ブント)に加盟していた西部邁氏は中央執行委員で闘争に参加し、その後大学院から、大学人、研究者となり、東大教養学部教授の職にあった時の1987年東大駒場騒動で退官後、幾つかの私大の教授の職の傍ら、保守系言論人として、メディアに登場しています。

 

ブントの学生活動家であった西部邁氏がその後、保守派言論人としてメディアに露出する背景には、1972年の連合赤軍による群馬県榛名山での集団リンチ殺人事件(山岳ベース事件)の報道を目にしたことが、ネット情報の検索でヒットします。

 

記事を見る限り、今までに西部邁氏にまつわる身近なルートからの断片情報をかさねれば、金銭、色恋などの世俗的な要素にたどり着かず、出版社、放送メディア制作、元ブンド関連や、支援していた元活動家グループの出版活動関連などが想像されますが、あくまでも印象です。

 

戦後派左翼

 

手前勝手な見解で恐縮ですが、戦後派左翼は一種の革命ロマン派で、反日本共産党ということで、ある条件下では、保守民族派と限りなく近い、極論すればボタンの掛け違いにより、いつでも接近可能な立位置にいるという仮説が可能です。

 

 

昨日のブログ投稿で、パヨクの執拗さを語るものとして、「トロッキーの暗殺」を取り上げた印象が今日まで引いているせいか、なんとなく、戦後のサヨク、とりわけ、パヨクと言われる反日共系サヨクの流れと影響力に再び関心が傾きはじめました。

 

 

スマホ環境の読者を思うと、文字数が限界に2,000を超えてきましたので、この周辺の記事は後日にしたいと考えますが、次のことで、投稿の終わりとします。

 

日本の一般的な日本人が、凶暴性と危険性の理由では、日本共産党を筆頭にしがちで、実はその影で、その日共への印象・注目を隠れ蓑にして、人権派、自由主義を表面に押し出し、実は行動は暴力的で殺人すら異問わない極左暴力性と秘密性、陰湿性をその政治行動とプロパガンダで実行してきたのが、反代々木系サヨク集団だとザックリ定義できます。

日本社会党-社民党とその支援団体、人権派市民運動、過激派、の歴史とその犯罪性を思い浮かべるだけで、定義に納得が行くはずです。

 

彼らは、自らの主張のみが絶対で、多様性を認めないという頑なな思考構造を持っています。

そして、多くの仮面を持っています。

 

それは、実に演劇の扮装やメーキャップにも似た、実に巧みな人権派、自由主義を全面に出した装うおいで、その醜悪さを隠していると言えます。

 

今日は、この辺りまでにしょうと思います、駄文へのお付き合いを、感謝申し上げます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました