メディアリンチ
メディアは常に犬を噛む人がを追っている不思議な集団であることは、昔から言われ尽くされた陳腐な言い回しだが、それにかろうじて、社会性と言う衣をかぶせるには、最低限度の条件があるはず。 それが、理性であり、知性であり、表現力であり倫理性のはずだ。
時は犬を噛むヒーローや、皮肉や興味、バッシングの対象をもメディアのターゲットにされる。 現実では、報道力と言う機動力で情報化社会を蹂躙するかのような、暴力的な構図を呈している事例は数多い。
それを、実に、「メディアリンチ」と言われる状況だ。 ほとんど例では、対抗、弁解、抗弁が出来ないような状況下で一方的に行われれ、時間が経過すれば、そうした加害事実すら消えてしまう。
魔法の忘却・消去スプレーでも持っているのかと疑ってしまうほどだが、これは社会制裁か? 何の権利があって制裁ができるのか? 権利無き制裁はリンチ、私的制裁に過ぎない。
情報が取材というより、無責任なリークで成り立つなら、そこそこの知識のある者は、取材対象者と会える環境があって、何らかの利害関係を構築すれば、簡単にリーク情報のゲットができ、マスコミ人という稼業に身をおくことができるから、ワンダーワールドだ。
こんなことが、いつまでも続き、許されると思っていれば、いずれ自身の首を締め、墓穴を掘るだけだろう。 しかもこの道理を自覚できな思考構造が欠如しているのであれば、制度的にそれが出来ない仕組みを社会に導入することは、理性ある人間、まっとうな社会にあり方のはずだ。
そんな思いが伝わってくる。
和田政宗「ワイドショーは私に取材もせず、質問の意図も伝えずに一方的に人間性すら否定するのは誹謗中傷でメディアリンチだが私は戦う。それに便乗した殺害予告もあった。利益優先で物事の本質を無視した最近のメディアの劣化は著しい。メディアはそのあり方を正しい形に変えるべき!」 pic.twitter.com/awl4GjQfr4
— DAPPI (@take_off_dress) 2018年4月6日
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