「kazanははっきり見た」北方領土にあったもの★ロシアが侵略占拠した四島に建立された戦勝祈念日に表示された戦争期間

NHK

昨夜(1月21日)のNHK報道したTV画像に映った「1941-1945」の意味するものは

kazanが見たのは占領者による「歴史の捏造」の事実

昨夜19時のkazanの大嫌いな女番長アナのニュースか、ニュースウオッチ9かは調べましたがヒット無しで、ニュースの内容としては、始まった日本の領土であるはずの北方領土返還交渉に先立ち、紹介された、ロシア国内の返還反対運動の高まりと、国後島か択捉島のどちらかでニュース仕立ての現状紹介動画です。

戦勝記念広場と思しき場所に建立された記念塔の上部に、「1941-1945」が大きくデフォルトされたデザインで確認できました。

そのモニュメントは昨夜から今日一日検索しても見つかりません。

検索マニアのkazanもヤキが回ったのかも知れませんが、モニュメントとしてイメージ的な参考構築物の画像で、記事見出しの画像に転用、kazanが見たものはヒット不調でしたが、目にした記念碑はこんなチャッチイものでは、共産主義国家特有の巨大なモニュメントであったことを付け加えます。

 

さて「1941-1945」が意味するものを考察しました。

「家政婦は見た」のは犯罪の現場、「1941-1945」も歴史捏造の現場であり、社会科学としての歴史にたいする犯罪行為そのものです。

「1941-1945」

戦勝記念として占領地に建てられたモニュメントに大きく、誇らしげにデザインされた、「1941-1945」は、ソ連が、1941年から1945年の戦争で占領、領土としたことを誇示したというより強調したものです。

1941年は日ソ関係には、この年に国際法的に、不可侵条約と位置付けされる「日ソ中立条約」が締結し、1945年8月9日未明に開始したソビエト軍による満州国の関東軍への、「ソ連対日参戦」までは戦闘状態に無い。

大東亜戦争後期のヤルタ会談、ポツダム宣言の過程で、米国がスターリンに対日宣戦を促し、コミンテルンの工作と諜報により、米国が新型爆弾の日本投下を知ったソ連が勝ち馬るかのいように、対日戦に参入した。

これ以上でも以下でもない、これが歴史的事実です。

さらに、近年の研究者は、大東亜戦争開戦前のホワイトハウス、米国政府機関はすでにコミンテルンの工作下に置かれおり、メディア、言論、ワシントンロビー、経済界はコミュニストによってその工作下、影響下にあったことは定説化されています。

 

つまり、「1941-1945」は日ソ戦の期間をソ連側がでっち上げた捏造であり、こういう手法をボルシェビキや後のコミンテルンは彼らと対立する価値観サイドの歴史の捏造を「歴史の修正」と侮呼侮評し、「歴史修正主義(リビジョニズム)」は、彼らの価値観の中では学術用語、共産主義者の専売用語になり、その社会の神学的用語にまで昇華されています。

関連メモ

昨日現物の画像を検索したのです不調におわり、投稿記事作成が叶わない事で、メモを残しておりましたので、リンクカードで紹介します。

一部変換ミスもありますが、メモとしてご容赦いただければ嬉しいです。

 

メモでは、コミンテルンの歴史修正の原点とも言える事実を踏まえ、後年、Z国を筆頭に。そこと国境を接する半島国家の民族が、足並みを揃えたかのように、日本国に対して主張してきた歴史修正の原型が実はコミンテルンにあったと言えます。

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