丸山議員の「戦争発言」問題・議員さんが「戦争」を語れない大甘の世界がそこにあったとは。。

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政治家に「戦争」タブー認識がある疑似ファンタジー空間

世界的視野で国家天下を見、語れる資質が要求されて当然の国会議員ではないのか

・戦争で奪われた領土は、基本的には話し合いで戻るほど簡単なことではないこと。

・時として、金銭で解決するか、武力行使をも視野に入れた、強烈な国家としての意思が相手に伝わらないかぎり不可能

・沖縄返還が話し合いで成功した例であるが、そこを占領していた当事者の安全保障と地政学価値観、利害を共有してなし得た稀な例である事実

 

リアリストで、多少なり歴史を学習したものなら、これくらいの認識は常識でしょう。

もし丸山議員が、このような認識を持っていたら、それをもって避難され、除名処分を受ける理由には該当しないはずです。

国会議員から「戦争」表現をタブーにしたら、国権や外交、時として人権に関する国益全般の討議が空虚になるはずだ。

 

もっとも現実の国会でのやり取りを見る限り、マナーは小学校の学級会以下、印象は100歩下がっても中、高学校の生徒会とさほどの違いは無い。

言い過ぎか。。

 

北方領土返還を求めるビザ無し渡航の一行に録音した人が居た

ビザ無し渡航の御一行は、多年に渡る日本人の悲願である、不法に奪われたに等しい北方領土返還を求める御一行ではなかったのか?

けっして安易に「戦争」を語るべきものでものではないことは言うまでもないことですが、クローズドされた空間で、領土返還を果たすには、時として避けては通れない手法に言及し踏み込んだ果の騒動であるだけに、問題は深刻だと考えます。

長年に渡る、国民的悲願の中身が疑われる思いだ

kazanは、国民の一人として、北方領土が返還されることを強く希望する一人ながら、生憎と過去の返還運動に直接参加した経験はありません。

さりながら、この運動に参加し、国民運動とも言うべき活動を展開し、ビザ無し渡航してまで現地の視察をしてきた意識の高い方々の価値観は、kazanのような立場から見る限り、kazan以上に返還への思いは強く、長年激しい意思を持続してきたものと思っていました。

しかしこの見方は、正確ではなかったように思われます。

録音したものを外に公にしたオッサンの顔を見たい

仮に、丸山議員が、同士の一員のような感覚で一行と共に渡航し、メーティングか討論、あるいは討議の場に居て、リアリストとしての見地から、「戦争」という用語を使いながら、この一行、パーティの基本的な考え方を問いただした、あるいは意見を述べる切り口にそれを使ったとすれば、録音した人物像への認識に大きな隔たりを感じます。

新選組に勤王浪士が紛れ込んでいたようなもの。

こうした団体が、何らかの便宜を得て、ビザ無し渡航を繰り返して来たとすれば、また、どこからかの援助、応援資金が出ていたとすれば、領土返還求めて、手弁当で、長年運動していたはずの同士的結合の中身があまりにも貧困に見えてきます。

終戦認識

最近学習したことですが、日本人の終戦時点の認識には別の視点もあることを知りました。

連合軍との完全な終戦は、1945年9月2日・戦艦ミズーリ艦上での終戦協定調印を持って成立するという説が国際法や国際慣習上では大きな理解と認識を獲得していることです。

つまり、この調印式には、帝国陸軍・海軍からそれぞれ数名の軍代表として調印に臨んでいることから、玉音放送で終戦と認識する従来の終戦に対して、その終戦後の1945年8月18日 – 21日での占守島の攻防戦は、軍命が21日に出たことで現地日本陸軍の停戦になっています。

戦争にきれいとか、汚い、あるいは正義とか大義といった情緒的側面から、奪われた、そして敗北した側が8月25日に終戦したことを主張しても少々無理があることを否定できません。

最後の戦闘・占守島攻防戦

8月25日に武装解除されても、帝国議会は存在しており、陸軍省も海軍省当然ながら存在しており、それゆえに9月21日に軍令により、停戦している事実があります。

日本人の認識である終戦後の1945年8月18日 には無傷の2個旅団規模の帝国陸軍第91師団とこれまた無傷の満州から転進した戦車第11連隊いて、軍隊の世界標準認識であるネガティブ リストで対応したことは当然のことで、敵と交戦状態になることは必須であり、極めて標準的な展開です。

ちなみに、上陸してきた連合国軍と言われているソ連軍に占守島駐留日本陸軍将兵が圧倒的な火力で勝利を収めた事実があります(注)

なお、この戦闘状態突入時点で、少数規模の海軍警備隊と陸、海軍航空隊の合計8機の旧型機が現地に配備されていたことがWikiから読み取れます・

そして停戦になった背景には21日の軍令によるものであることを特筆できます。

注:戦闘結果と戦闘後 から転用

ただし、日本軍人による推定値として、日本軍の死傷者は600名程度、ソ連軍の死傷者は3000名程度との数値もある。9月半ばまで両軍の戦死体は放置されたままであった。

出典:Wiki 「占守等の戦い」から

結論

丸山議員のミスを考えるなら、以下の点が浮かび上がります。

1,「武力行使」という表現を選択しなかった。

2,    安心しきっていたビザ無し訪問団の一行が一枚岩でなかった。

3,    党と、松井代表から除名制裁が出る可能を予測できなかった。

 

 

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