浅草で最初に覚えたカラオケが夢酒場

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夢酒場

観音裏は花柳界、見番がある

1995年か6年頃です。

初めて、テメイの銭で踏み込んだ浅草観音裏のデープな夜の空間が浅草三丁目。

オソルオソル、キープする酒屋市販価格800円の韓国焼酎が2,000円ポッキリの明朗会計で、即キープ。

これは最初の一歩ながら大きな前進。

 

実はこのエリア、逝ったマダムKazanの母方の祖父のテレトリーです。

したがって、Kazanには、義理の祖父にあたる方で、チョットした人だったらしい。

 

伺った限りでは、自宅では謹厳実直、畳に縁に並行・カネ手に座り、背中をピ~ンと伸ばして、脇息を脇におくような昔気質の人だったらしい。

当然、座れば正座で、極端な話、家の中でも日中はネクタイしてるというようなタイプの製紙会社の創業社長です。

 

その祖父の裏の顔が、役人の谷町役であり、そのメインステージが浅草の花柳界。

祖父の愛人

今で言う愛人ですが、当時の世界と世代では「お妾さん」

 

存在が露見したのは、経営している会社の急用で、隠し別宅をを訪れた社員の息子が見た光景が、予想外の仰天話として、家族の知ることとなり、極めて私的な一家族の話題が、祖父が亡くなり、後年、一族の中で伝承として、語り継がれていたという背景があります。

 

Kazanが聞いた話では、

 

家人が急遽訪ねた家の縁側が、垣根越しに道路から見えて、そこには幼児を膝に置いて、にこやかにしているステテコ姿の父親がいた。

 

さぞかし、驚いたことだろうと、笑いをこらえながら聞いた時は、既に鬼籍の祖父への限りない親近感をもったKazanですが、豪胆謹厳実直な父しか知らなかった子供達の驚愕は想像に難くないものがあります。

 

そして、その愛人が、浅草の粋筋であったということです。

言問通りを渡った観音裏

役人の谷町として、祖父のテリトリーであった浅草三丁目は、見番のある花柳界です。

 

観音裏の言問通りをわたり、ゴロゴロ会館前の柳通りの見番を肩にして、東西南北の道と並行する路地に、料理屋、小料理屋、バー、スナック、居酒屋、レストラン、パブ、寿司屋を始めとする和食系レストランが点在します。

 

祖父のテリトリーと言う先入観から、安サラリーマンの身では、居酒屋にしても、なんとなく敷居が高く、家族で食事をする時も、三十代では身銭払った記憶はありません。

身銭を払えるのは、言問通りの向こう側、つまり浅草寺・浅草神社のある側の、浅草一丁目、二丁目、西浅草位でした。

 

そんな世界での最初の冒険が、こともあろう、Kazanには禁断の、テレイトリーで、新しく出来た小料理屋の女将さんに案内されて飲み直しで行った、やはり同様にデビューしたてのスナックです。

 

キープが2,000円なら、後はほとんど可視化の世界

座って、飲んで、歌って、つまみ付、ボトルを飲みきれば、2,000円プラスの世界です。

ボトルを遺して、次回にそのボトルだけで終われば、一人1,000円で釣りが戻って来るわけで、

「少ないど、(ツリ)はいいですよ~♫」と言って粋がることもできる訳です。

 

赤坂、銀座、六本木界隈で、そんあセリフを言った経験はありませ~ん。

いつも会社経費か、ニコニコカード払いです。

これで、一気に赤坂、銀座、六本木は卒業です。

 

口開けが新橋、神田、上野でも、終われば、即、浅草直帰の時代が始まります。

 

コレッ、Kazanの文明開化でした、恐らく。。

最初の洗礼

渋い演歌がよく似合うのが浅草です。

間違っても「銀恋」なんて歌った日には、帰った後を何を言われているか?

そんな恐怖と背中合わせの極めて温~い世界で、偶然覚えて、持ち歌に認定されたのが夢酒場でした。

 

ここから逃げだしたなら しあわせだろう

たとえば南の島で ひとりでくらせば

だけど男の方には 荷物が多い

どこに置こうか だれにたのもう

すべさえ なくて

酒場で見果てぬ 夢追いかける

 

作詞、作曲が中山大二郎

二年前に投稿したブログありました。

 

http://takao-channel.odoaba.com/2017/04/04/post-115/

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