昨日と今日、あるブログを投稿して、ファイクする心が判ってきた

katsukazan

断片的な情報の断片を駆使して、捏造やフェイク、創造と想像をするファンタジーの楽しさは、経験すれば病みつきになりそう

ネット空間で、比較的見られる情報に、「陰謀論」「謀略論」「神話」「都市伝説」等があります。

「真実」や「フェイク」が微妙にかさなり、時には夢のような世界、そして「ファンタジー」が広がります。

 

一昨日未明から、ある動画を見て、ハマりました。

この顛末を話したくてしょうがないのですが、身近の友人にSkypeしてもスルーです。

 

一昨日、偶然見た動画が「日ユ同祖論」のたぐいの2007年に地上波でオンエアされた放送の分割化した動画です。

4分割か5分割、それに続編があったと記憶します。

 

この一週間ほど前に、「日本国史学会」の田中英道先生の講演動画を視聴しておりましたので、その下地があったせいか、地上波の分割ビデオには、一気に引き込まれました。

 

朽ちかける歴史マニアながら、この十年近く、可能なかぎり検索でヒットする、興味ある歴史や考古学的コンテンツを対面してきましたが、今回は従来になく、結構興奮させられました。

ブログ投稿

最も話しやすい友人は、最近SNSにハマリ込み、相手にしてくれません。

ストレスが貯まります。

ブロックしたろうかと思った程で、浮世とネット世間の無情を恨み、はかなんで、備忘録を兼ねてブログました。

 

そして気がついてことがあります。

実はブログ発信してから、妙に快感を感じます。

 

ブログは自分なりに虚心坦懐な記述を努めたつもりながら、ハイテンションになると、制御したつもりでも、フライング気味が感じられます。

さらにこの心理の陰にあるものが、案外「フェイク」「捏造」する快感につうじると直感しましたので、ブログサイト替えて、この記事を投稿しています。

 

快感を感じると8,000文字を超える記事でも、ほとんど苦痛はありませんが、こんなことにも気が付きました(笑)

はじめに

二つの動画は基本的には興味深い内容です。

 

とりわけネット空間では、ユダヤの陰謀とかユダヤ民族の謎がふんだんにあります。

その内容や価値は、タイトル下の冒頭に記述した通りです。

 

数え切れないコンテンツは、大別できます。

大別すれば、ユダヤ肯定論であり、ユダヤの存在の正当性を主張するものですが、正当性という表記自体が論理的で理性的ではありません(理由は後述)

そして一方が、「反ユダヤ論」ですが、やはり論理的ではありません。

肯定論は、論理的、非論理的を超えて、ユダヤ礼賛論に近いものがあります。

その結果、それにあやかろうとする恣意的な誘導の発信も散見できます。

見る側

見る人がどの様に受け止めるかは、受け手の勝手です。

kazanの場合は、まず、下地があったので、興味深い内容であったことを正直に白状します。

 

楽しむことができて、自分なりの発見もできたことの快感や、それを備忘録したことで、捏造者や、ファイク発信者、ファンタジーマニアの心情や、種々の起源に関する共通点に関する「不思議発見心理」に、忘れていた、かっての少年雑誌に荒唐無稽でワクワクした高揚感を思い出しました。

備忘録のリンクです

動画の見過ぎで頭が壊れた? 「日ユ同祖論」見て。。3-2&3 前投稿に加筆 - ブログ katsukazan/ブログ 活火山→怠惰と狂気と熱風、Jazzと演歌と飲む酒が不思議と合う毎日
「見過ぎで壊れた。。」と言えば、咄嗟に「何を抜かす!このタコ💢」「見過ぎで壊れたんじゃなない、元々が悪いのだ(喝!)」のツッコミをいただくのを覚悟して、発信です。「日ユ同祖論」このキーワードは知っている人には知れている、有名なキワードらしいです。「らしいでです」の表記は、当然、kazan自身にとって、新しい「キワード」...

 

 

惹かれたキーワード

兵庫県「大避神社

大避神社の伝わる木造の面が天狗面

「春斎年昌/岩戸神楽之起顕」(ビデオとは関係ない)

太陽信仰

太陽崇拝

旭日条光

秦氏、 太秦、 始皇帝、 渡来人、

ユダヤ10支族

東方

 

終わりに

イヤ~、フェイクは実にたのしい

第一印象は「イヤ~、フェイクは実にたのしい」ということでした。 これならリベラルや #日本の一部の新聞 #日本の一部のTV 、レッテル貼り屋さん、ご近所さんが「捏造」「フェイク」を発信する時に快感の一端に触れることができたような思いです。

東京築地にある某新聞社が、発信した捏造情報や、その問題となったフィクション小説の著者の心理が何となく判ります。

快感

騙す時には犯罪性や罪悪感という道徳とか理性とは別の範疇の快感があるのではとすら思えてきます。

荒唐無稽な事を言い、子供がうっとり夢をみるように、惚れた相手に、手練手管で甘言と粉をまいて効果があれば、その間の苦労も結果もすべて快感です。

まして、価値観の異なる敵とも思えるア相手をファイクで翻弄し、それ自体がヘイトに化学変化した時に感じる至福感は比べ物がないくらいの快感のはず。

それば、詐欺師が犯す犯罪被害が大きければ大きいほど、その大きさに比例して快感も大きいというような背景と同じではないのか?

復讐法の存在意義

ならば、それを根絶するすべは、簡単で安直な「非難」「遺憾砲」では制御できないという普遍性を認めざるを得ないはず。

この時点で、「目には目、歯には歯」の「ハムラビ法典」の原理が顔を出し始めます。

復讐法の原理原則が数千年を経てなお真理なら、それを論理的に残る知恵を絞った民族をスルーはできない。

 

 

歴史の謎解きは実に楽しい。。

 

 

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