中曽根元総理の訃報報道で、新聞なら見出し部分に該当する導入部分だけ、を5回以上繰り返した佐藤誠太アナ☆重大な報道だったのだ。。
このスタイルの報道手法は、災害等緊急避難報道ではお馴染みだが。。
NHKの佐藤誠太アナが深刻な表情で「中曽根元総理大臣が亡くなりました」「繰り返します、中曽根元総理大臣が亡くなりました」を5回以上繰り返したあと、その詳細情報を報道するという訃報報道を聴きたのは、初めての経験でした。
確かに、戦後政治の総決算を謳い、個性的でパフォーマンスに長けた政治アピールと外交で日本の存在感を当時の国際政治の場でやってのけた、従来型の総理像とは一線を画した昭和時代の総理でした。
佐藤誠太アナウンサーが生まれた年に、第71代内閣総理大臣なり、同じ年に、戦後初めての内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を実現させた稀有な総理でしたので、このご縁で、興奮モードであったのか。。
あの繰り返しは、デレクターの指示?
NHKの報道アナウンサーにどれほどの自主裁量権があるか知りません。
いつも気になることの一つに、「ニュース原稿を起こすのは誰なんだろう」があります。
ただ今回の冒頭の執拗なまでの繰り返しで、聞き手は報道の重大性と深刻性を瞬間的感じたはずです。
今放送中の大河ドラマでベルリン大会女子二百米平泳で有名な「前畑ガンバレ」の連呼のような、貴重な音声であったのはと勝手に思っています。
kazanが小学校時代にローカル局のアナウンサー室に、見学で何度か訪問した記憶があります。
その頃は、ニュース原稿は、縦書きの大マス目の原稿用紙のような紙に、アナウンサーが自分で書いた原稿を読み上げていたような気がします。
少なくとも、ワープロも、コピーも無い、正真正銘、純粋無比のアナログ時代でしたが、法曹現場にはどでかい、リール型のテープレコーダが大活躍していたのを覚えております。
1985年の靖国参拝への中国の反発の結果、中国は貴重な学習ができた
戦後の日本外交、とりわけ日米外交で際立った存在を残し、国内三公社の民営化を決断、実行した中曽根元総理が御年101歳の大往生を遂げた報道が昨日の昼にありました。
中曽根元総理は、戦後始めた内閣総理大臣として靖国神社への公式参拝をしました。
しかしこの1985年公式参拝では、中国からの猛烈な反発により、当時として異例の在職日数になる1806日の間、二度目の公式参拝は実現できず、その後の公式参拝は橋本総理、小泉総理、安倍総理の公式参拝を数えるだけです。
1985年の中国の反発、ここで提起したいこと
1985年の中国は、およそ35年前の中国です
この時代の中国なら、おそらくダメ元の反発抗議か、世間知らずの無茶振りの抗議であったはずです。
中華圏で生活している経験上、肌感覚で言うなら、中華系の人の日常的な思考や行動の基本はマイペースでなんでもやります。
思ったことを、率直に行う行動パターンは、周りの迷惑や空気を常に意識することで、円滑な空気を醸成することで、結果的に自分も周囲も快適になるという発想は絶対にありません。
やりたいことをやって、言われて初めて学習します。
その意味において、中国は学習したのです。
たとえ、35年当時の中国でも、日本には言えば、その通りになる。
おそらく中国にとって、それは衝撃的な体験であったはずです。
彼の論理は、伝統的に勝者、強者の論理が全てですから。。
それから、中国は変身したのは、読者が知っての通りです。
さらに一点加筆するなら、日本も学習しました
これは重要で、トラウマになったかもしれません。
日本の薄っぺらな国家観や常識の世界に、「中国のご意向を伺、忖度する」こと学習させられました。
35年前の中国に。。
想像してください、当時の中国を。。

その顕著な結果が、大勲位をして、内閣総理大臣として、二度目の靖国神社公式参拝の封印でした。

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