虚構の「技術大国ニッポン」に踊らされて:失われた40年を振り返って見えたもの

東京バージョン

はじめに:「技術大国」という呪文

「技術大国ニッポン」――それは、昭和・平成を生きた日本人なら誰もが一度は耳にし、疑うことなく信じてきた言葉かもしれません。自動車、家電、ハイテク、ものづくり…そうした分野で世界をリードしてきたという自負。特に団塊世代やその子世代にとっては、それが誇りであり、国家のアイデンティティそのものでした。

小欄もまた、その言葉を刷り込まれ、社会に出て、家庭を持ち、まっすぐにその「神話」を信じ続けてきました。しかし今、ふと立ち止まり、振り返ってみると――その半生が虚構だったのではないかという、言い知れぬ喪失感と怒りが押し寄せてきます。

「失われた40年」とは何だったのか

日本経済が失速しはじめたのは1990年代初頭、バブル崩壊が引き金でした。そしてそこから30年、いや実質40年にわたり、経済成長率は低迷を続け、「失われた10年」「20年」…今や「失われた40年」とすら揶揄される始末です。

その間、中国や韓国をはじめとするアジア諸国が経済成長を遂げ、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された日本は、少子高齢化、実質賃金の停滞、産業の空洞化に悩まされ続けています。

それでも、メディアも政治も、そして我々国民自身も、「技術大国」「経済大国」という看板を降ろすことを恐れ、目をそらし続けてきたのではないでしょうか?

虚構の上で踊らされた私たち

人生80年とすれば、その半分以上を「経済大国」「技術大国」という神話の中で生きてきたことになります。それはまるで、誰かが吹いた笛や太鼓の音に合わせ、無自覚のまま踊らされてきたような気すらします。

その間に我々は何を得たのか?何を失ったのか?

犯罪にも薬物にも手を出さず、真面目に、健康に、家族を守り、社会に尽くしてきた多くの人々。その努力や誠実さに対し、「国」は何を返してくれたのか――その問いが、年を重ねるごとに重みを増していきます。

怒りの矛先はどこにあるのか

では、この怒り、この割り切れなさの矛先はどこに向ければよいのでしょうか?

単なる運の悪さ、時代のせいと片付けてしまうには、あまりに長く、あまりに多くの人々が不利益を被ってきました。歴代政権の経済政策、規制の網、そして何より、国の財布を握る財務省の硬直した財政主義――これらが、日本の活力を奪ってきた要因として挙げられるべきでしょう。

そして、それを許し続けてきた我々自身にも、無自覚という形の「責任」があったのかもしれません。

今、我々にできること

振り返れば、確かに「過ぎ去った日本の40年」かもしれません。しかし、過去を直視しなければ、未来を切り拓くことはできません。

「技術大国」の再生は幻想かもしれません。それでも、真の意味での豊かさとは何か、持続可能な社会とは何か、個々人が真剣に考え、行動する時代が来ているのではないでしょうか。

怒りを希望に変える。そのためには、まず“気づく”ことから始まります。

おわりに:目を覚ますときは今

人生の後半に入った今だからこそ、自分の歩んできた道の意味を問い直したくなります。「信じてきた日本」と「現実の日本」のあまりの乖離に戸惑いながらも、それでも希望を持ちたい。

矛先は誰か一人に向けるものではなく、私たち自身の意識にこそ向けるべきなのかもしれません。過去を受け止め、未来へつなぐ。それが、次の世代への責任であり、私たちの世代の“償い”なのかもしれません。

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