動画で松竹映画226を視聴

咲夜偶然youtubeで1989年の松竹作品「226」を視聴します。
2月に関連するキーワードの一つが日本なら「建国記念日・紀元節」と感覚的に対極に位置付けられそうなキーワードが「226」(1936年・昭和11年)だろうと想像します。
似たような台湾に数字のキーワードが228
似たようなキーワードは台湾にもあって、それは「228」(1947年)です。
「226」が昭和期の青年将校の「反乱」であったとすれば、台湾の「228」は国共内戦後台湾に敗走して進駐した国民党・国民党軍に対する台湾人の抵抗運動であり、台湾政権側の視点で見れば、武力蜂起を伴う反政府運動です。
台 北・228記念館
高 雄・228記念館
過去ブログ
キーワードが数字という共通点の事件
字ずらが「226」「228」と似ていることが気になりますが、「228」は国民的、当時としては民族的、文化的には日本教育を受けた台湾人のいわば、進駐軍的国民党軍に対する抵抗運動であり、「228」は日本史上最大の近代軍によるクーデターあったという構図の違いがあります。
ただ異なるのは、事件後、「226」は、日本では風化させようとする当時の政府の空気が存在し、それに対する、青年将校への、あるいは昭和史へのメモリアル的な感傷と哀惜を含む近現代史的評価が現存して重なるのに対して、台湾の「228」の教訓は現代でも継承されて、被害者への賠償を台湾政府が、政権が変わっても継続している現在進行形としての現代史という部分があります。
現在進行形の現代史
現在進行形という表現をつかった背景には、被害者の遺族一世の一親等までの、見舞金が現在でも継続してるという特異点におGGは注目します。
つまり被害者の身内の一親等である、親、配偶者、子供までが見舞と見舞金の対象になっている現実がありますが。
「226」で被害者・遭難者の遺族への見舞いはおそらく終戦で幕を閉じた可能性を予想するなら、国家の賠償、というか、おそらく「顕彰」の表記は適切ではないような気がして、それに代わる表現を探す手立てがないことに、もどかしさを募らせるKazanデス。
別注
■■■本稿はgooブログ環境で草稿した記事ですが、以下の文中にエラー表示が理由でアップロードに関わる障害リスク緊急避難としてWordpress環境に移転投稿する記事です。



コメント