永田浩三 武蔵大学教授ー社会学部 メディア社会学科

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あいちトリエンナーレの企画に発展した経緯がある。
「表現の不自由展」は、いかなる経緯で生まれ、また、どんなメンバーが運営しているのだろう。
美術ライターによると、

「もともとは、2012年に東京・新宿のニコンサロンで予定されていた慰安婦の写真展が、ニコン側の通告で中止されたことから始まりました。
このニュースを知って、行動を起こしたのが武蔵大学教授の永田浩三さんでした。

永田さんは、知り合いのギャラリーに企画を持ち込んで写真展を実現させる。これをきっかけに『表現の不自由展』の実行委員会が立ち上がるのです」
以降、永田氏は仲間を募り、展示を断られた作品の展覧会を、民間ギャラリーで開くようになる。永田教授の前歴を知れば、さもありなん、なのだ。

話はさらに遡って01年1月、NHKが後に政界まで巻き込むことになる番組を放送する“事件”が起きる。
慰安婦問題の責任を問う「女性国際戦犯法廷」を取り上げたEテレの「戦争をどう裁くか」である。

あくまで民間団体の活動で、もちろん、法廷は模擬裁判。実効力はないが、日本政府と昭和天皇に強姦と性奴隷制についての責任で有罪判決が下された。

さすがに、放送では判決部分はカットされたものの、異様な内容の番組は大きな反響を呼ぶ。しかも、その後、事態は思わぬ方向に転がった。
法廷の主催者(VAWW-NETジャパン)が、事前に知らされていた企画と番組内容が違うとしてNHKと番組制作会社を提訴したのである。

「実は永田さん、元NHK職員で番組のチーフプロデューサーだったのです」事情通が語る。

さらに番組の4年後、放送前に故中川昭一代議士と安倍晋三党幹事長代理(ともに当時)が、NHK幹部に圧力をかけていたと朝日新聞が報じる。
このことは先述の訴訟でも俎上にあがり、この際、NHK側のはずの永田氏は、原告側の証人に立ち、番組改変を国会担当局長から命じられたこと、
政治家の関与がなかったように幹部らが口裏合わせをしたと証言したという。

そもそも慰安婦問題に特別な思い入れを持つ“黒幕”とも言うべき人物がいたわけである。

だが、裁判は原告の敗訴に終わり、永田氏は09年、NHKを退局する。
その後武蔵大の教授に転身していた永田氏、津田氏が引っ張り出したとはいえ、今回の騒動の発火点には、そもそも慰安婦問題に特別な思い入れを持つ“黒幕”とも言うべき人物がいたわけである。

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