マグニッキー法案
マグニッキー法案は、ざっくり言うなら、人権侵害をする国家の指導者や役人の海外ので経済的利益と自由を制約する法律だ。
例えば、海外資産を凍結、入国拒否、口座開設拒否、就学拒否、不動産購入拒否等。。
HARANOTIMESさんの発信で知る法案名の由来
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HARANO Times コンテンツ
キーワード ”マグニッキー”は認識していたが背景までは
マグニッキー法案の「マグニッキー」というキーワードはUKあるいはEUのどこか、いわゆる「マグニッキー法案」を可決採用した最初の国の起案者の名称かと思っていたが、HraranoTimesさんの12月4日のコンテンツでそのバックグランドを知った次第。
それも、耳コペ的、イージーリスニングスタイルで視聴してたので、マグニッキー氏が獄死したのは、2009年にモスクワ刑務所と聴いているのに、自分の先入観では、革命当時のボルシェビキ政権によって獄死、つまり1900年代の近代史の世界とまで早とちりして。。。、
本ブログ原稿起草でWikiでの人物画像チェックで、この画像は、一見して現代のものだと直感し、先入観との違和感を認識して、詳細をチェックしたという経緯がある。 正直に言うなら「大汗」レベルの誤解であり、先入観でした。
Sergei Leonidovich Magnitsky ( 8 April 1972 – 16 November 2009) was a Ukrainian-born Russian tax advisor. His arrest in 2008 and subsequent death after eleven months in police custody generated international media attention and triggered both official and unofficial inquiries into allegations of fraud, theft and human rights violations in Russia.
by wiki
残された「抜け先」が日本なら。。
いつも視聴している HraranoTimesさん のコンテンツが、「オーストラリの国会は、(対中国への)ママグニツキー法案を全会一致で可決」により、先進諸国ではでは、唯一日本が中国にとっての抜け先、逃げ道になったと言う。
とっさに「それではアカン」と思いつつも、例によって、斜に構える意地悪さが、あることを思い出した。
それは、4,5年前当時、鼻に付いて、kazanに神経を逆なでしていた、姜瑜・洪磊・華春瑩報道官に関して、「この野郎、仮に日本にフラフラ爆買にでもきて、街中で遭遇したら、ドツイテやろうと。。」と思って、再三ブログで取り上げていたことを思い出して、チャンス到来かとニッコリ状態になった。
日本政府がアホなら、それを逆手にして、民間が実行するまでのこと
2021年8月の米軍のアフガン撤退で、思ったことの一つが、中国共産党員の、対中国戦後、あるいは政権崩壊後の逃亡先にアフガンとアフガンを含む中央アジア圏が、増えたかも知れないということだった。
従来から、国民、とりわけ中国的に言うなら「人民」の怨嗟を受けている共産党員や政府高官、官僚とその家族は、政権崩壊時には、国外逃亡を選択するのが一般的。 まして、こと、中国人にとって、「自裁死」というケースは、国外逃亡という選択肢と比較すれば圧倒的に少ないと見るのが普通だろう。
この数年、とりわけ、露骨な台湾侵攻を発信するようになった中郷共産党政権はその崩壊が始まりがようやく見えてきたことから、最近では、いつも、彼らは何処を逃亡先にするかは、最も興味深い事項担ってきた。
それが HraranoTimesさん のコンテンツが ご指摘された通り、逃亡先が日本なら、これは「飛んで火に入る夏の虫」ではないかととう発想が瞬間的に思考回路を支配したのだから、ついニンマリした次第。
JR電、私鉄、地下鉄の車両で遭遇するかも知れない楽しみ
日常生活で、あるいは、 JR電、私鉄、地下鉄の車両で遭遇するかも知れない楽しみが増えたようなものではないだろうか?
想像してみた。。
浅草から、銀座線で、秋葉原の電気街へ行った後の帰り、吊り革に掴まり、座っている乗客の中に、見たことのある中国人の顔があったら、最高にラッキーではないですか。
一昔前、二昔前には。。
1990年前後の時代、ルーマニア共産党が崩壊した時、国家元首のチャウシェスク夫妻は、人民裁判後、銃殺刑になった。
過去には、ナチスの戦犯容疑者は南米アルゼンチンに逃亡したことは有名だ。
またクロアチアのアンテ・パヴェリッチ、ウスタシャの例もある。
有名なアイヒマン逮捕劇には、ドイツ系移民者が大勢いたアルゼンチン社会に、ナチスの残党が逃亡先としてアルゼンチンを選択したのは極めて自然な成り行きだったかも知れない。 さらにイスラエル国家が、特定の戦争犯罪容疑者を、地球の裏側の地の果てまで執拗な捜査を行い、超弩級の大物であるアイヒマンを逮捕して、イスラエルへ身柄移送し裁判の後、処刑したアイヒマン逮捕劇は、半世紀を得て未だに記憶に残る。
当時、イスラエルは、特定の逃亡戦争犯罪容疑者を、時効無しで、永久捜査、永久探査を経て逮捕するという方式を採用していた。 この方式を当時「アイヒマン方式」と言われたが、いうなれば「FBI方式」と同じ範疇の思考だ。
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