はじめに
1972年(昭和47年)、戦後日本外交の最大の転換点となった「日中国交正常化」。この歴史的快挙の裏側で、公式な外交ルートとは別に、極めて重要な役割を果たしたのが公明党と創価学会でした。
しかし、その功績が語られる一方で、交渉相手であった周恩来首相の実像をめぐっては、日本国内の評価と、国際的なインテリジェンスの評価との間に大きな乖離が存在します。本記事では、国交回復の背景にある「光と影」を、出典資料に基づき深掘りします。
1968年「池田提言」が動かした歴史の歯車
日中国交正常化への道のりは、1968年9月8日、創価学会の池田大作会長(当時)が学生部総会で行った**「日中国交正常化提言」**から始まったとされています。
当時、日本は台湾(中華民国)を正統政府としており、共産党政権下の中国を承認することは政界においてタブーに近い状態でした。その中で、池田大作は以下の3点を提言しました。
- 中国の存在を正式に認め、国交を正常化すること
- 国連における中国の議席を確保すること
- 日中首脳による平和対談を推進すること
この提言は、文革による孤立に苦しんでいた中国指導部に強い印象を与えました。周恩来総理は、日本国内に強固な組織基盤を持つ創価学会のトップが中国支持を打ち出したことを戦略的に重視し、後の公明党訪中を受け入れる「地ならし」となったのです。
決定打となった「竹入メモ」と田中角栄の決断
池田提言を具体的な政治工作へと昇華させたのが、公明党の竹入義勝委員長でした。1972年7月、田中角栄内閣の発足直後に訪中した竹入氏は、周恩来総理と連日深夜に及ぶ会談を行います。
ここで記された**「竹入メモ」**こそが、国交正常化の最大の鍵となりました。
戦争賠償放棄という衝撃
日本側が最も懸念していたのは、莫大な額に上ると予想された「戦争賠償」でした。しかし、竹入メモには周恩来が語った**「賠償放棄」**の意向が明記されていました。
「中国側は、日本国民と中国国民の友好のために、賠償の権利を放棄する用意がある」
この記述を竹入氏から手渡された田中角栄首相と大平正芳外相は、「これで北京へ行ける」と確信し、電撃訪中へと舵を切ったのです。
周恩来の「聖人像」と「冷徹な実像」の乖離
日本では今なお、周恩来は「質素で温和な平和の宰相」として高い人気を誇ります。しかし、欧米の研究者や中国共産党の暗部を知る人々の間では、全く異なる評価がなされています。
特務工作のトップとしての顔
周恩来は、共産党の諜報・暗殺部門である「中央特科」の創設者であり、裏切り者に対する冷酷な処断を指揮した経歴を持ちます。また、文化大革命という狂気の中で、自らの地位を守るためにかつての同志や友人の粛清文書に署名を続けた「マキャベリスト」でもありました。
高文謙氏の著書**『晩年周恩来』**によれば、彼は毛沢東の独裁を支える最も有能な「道具」であり、その温和な微笑みは、国際世論を味方につけるための高度な演出であったと分析されています。
ジャーナリズムの視点の違い:本多勝一 vs 山本七平
この周恩来像のねじれは、当時の日本を代表する知識人の対立にも現れています。
本多勝一氏:贖罪としての友好
朝日新聞の本多勝一氏は、日本軍の残虐行為を告発する文脈の中で、中国側を「道徳的優位者」として描き、周恩来をその象徴的な聖人として紹介しました。これは戦後日本の左派・リベラル層に深く浸透しました。
山本七平氏:組織論からの批判
対して、山本七平氏は、日本人が「日中友好」という「空気」に支配され、相手の独裁体制や工作活動というリアリズムから目を逸らしていると批判しました。山本氏にとって周恩来は、教義(共産主義)維持のために非情になれる、極めて有能な官僚組織の長に過ぎませんでした。
なぜ公明党・創価学会は「暗部」を無視したのか
公明党や創価学会が、周恩来の暗部を知りつつ、あるいは知らずにのめり込んだ背景には、当時の日本の**「情報の非対称性」と「政治的ニーズ」**がありました。
- 記者交換協定の制約: 当時のメディアは、中国に批判的な報道をすれば即座に追放される環境にあり、良い面しか報じられない構造(日中記者交換協定)にありました。
- 平和運動の象徴: 宗教団体として「平和」を掲げる創価学会にとって、周恩来という「理解ある指導者」の存在は、運動の正当性を証明するために不可欠なアイコンでした。
- 外交のクッション役: 自民党内の親台派を抑えるため、田中首相は「野党の友人」である公明党に泥をかぶせ、予備交渉を委ねました。公明党もまた、その役割を担うことで政界での存在感を高める実利がありました。
結論:現代に続く「日中友好」の課題
1972年の国交正常化において、公明党と創価学会が果たした「橋渡し」の功績は否定できません。彼らがいたからこそ、戦後賠償の放棄という極めて困難な合意が成立したことも事実です。
しかし、その成功の裏で、相手国の指導者を過度に理想化し、独裁体制の「影」から目を逸らしてきたことは、今日の日中関係における相互理解のズレの一因ともなっています。
歴史を振り返る際、私たちは「誰が井戸を掘ったか」という感謝の念を持つと同時に、その井戸がどのような政治的計算と犠牲の上に掘られたのかという、冷徹な視点も持ち合わせる必要があるのではないでしょうか。
参考文献・根拠資料
- 竹入義勝『激動の小部屋』(毎日新聞社)
- 高文謙『晩年周恩来』(岩波書店)
- 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)
- 石井一『冤罪―田中角栄とロッキード事件の真相』(産経新聞出版)


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