初めて最初に読んだ文春オンラインは山谷のヤクザと過激派の激突

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kazanノート | 調べてナンボの備忘録

「やられたらやり返せ!」ドヤ街・山谷に棲む人々はなぜヤクザに抗争を仕掛けたのか

この時代頃、逝ったマダムkazanとの生活は足立区千住関屋からより浅草に近い南千住のマンションにすんでいたが、山谷地の接点は、JR南千住と重なるように駅を配置する営団地鉄日比谷線・南千住駅近くの、かなり山谷ムードが漂う居酒屋が唯一山谷との接点であったたように記憶する。

浅草・吉野通りと明治通りの交差点が泪橋で、そこからJRの降下したの隧道もどきを境に、極めて普通の南千住・通称「ナミセン」の下町光景が、高架下から泪橋の間が山谷とナミセンの緩衝地帯のような雰囲気を認識しており、浅草に向かう導線として車両で通過する以外は距離を置いて、限りなく無縁の空間のはずだったと思っていた。

それが、この文春オンラインにある、 「やられたらやり返せ!」ドヤ街・山谷に棲む人々はなぜヤクザに抗争を仕掛けたのか の世界があったとは、今日の今まで知らなかった。

以下、備忘録としてのリンク

『ヤクザと過激派が棲む街』よりマニア #1
「やられたらやり返せ!」ドヤ街・山谷に棲む人々はなぜヤクザに抗争を仕掛けたのか | 文春オンライン
昭和の終わり頃、東京・山谷のドヤ街ではヤクザと過激派が全面衝突し、「金町戦」とよばれる血にまみれた抗争が起こっていた。なぜ彼らはこの街で全面衝突を余儀なくされたのだろう。 ジャーナリストとして活動す…
『ヤクザと過激派が棲む街』より #2
拉致、監禁、17時間のリンチ…“ヤクザ”と正面衝突した“争議団”若手メンバーを襲った悲劇 | 文春オンライン
早朝から数千人におよぶ日雇い労働者が押し寄せ、ヤクザの息がかかった手配師たちが手際よく仕事を供給する…そんな光景が当たり前だった在りし日の山谷。もしもヤクザがいなければ、手配師たちが機能せず、日雇い…

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