エルドアン・トルコの歴史的快挙で、民族的壮挙レベルの英断と賛辞を惜しめない気持ちが全開です。
トルコは、NATOの構成国ですが、一般的に欧州の一国と言う認識は欧州には無いはずです。少なくともロシアは西欧の国であっても、トルコは中東の国であり、歴史的にはサラセン帝国として、地中海沿岸のアフリカ、スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島、黒海沿岸のスラブ圏に君臨した時代もあれば、その後の歴史で、オスマン・トルコはバルカン半島を北上オーストリア帝国まで版図広げた事実があります。
その意味で欧州圏にとっては、侵略者であり、宗教の異なる異邦人という認識がDNAにインプットされているのが普通。
そんな背景もあって、1952年2月18日にトルコのNATO加盟という歴史がありますが、ことEUに関しては、EUの前身である欧州経済共同体時代から加盟意思を表明しておりますが、実現しておりません。
こうした一見、ダブルスタンダードのような経済メカニズムにおけるトルコと地政学的存在、あるいは軍事同盟としてのNATOとの認識の間にはなかなか埋めがたい距離があるのが現実です。
その背景というか風土にあるのが、異なる宗教、かってのサラセン帝国、オスマン・トルコの欧州攻略が大きな障害になっていると、個人的に認識しております。
昨日、夕刻、youtuberで、豊島区議くつざわ亮治氏が発信したコンテンツで、エルドアン・トルコが支配するボスポラス海峡のロシア艦隊の通過を拒否するという情報を知りました。
ずばり、対露海峡封鎖であり、不審船などが発見されれば、この時期であればトルコ海軍による臨検もあり得る事態です。
結果、ロシアの外洋艦隊である、北海艦隊、バルト海艦隊、太平洋艦隊は、同じく黒海のクリミア地域に本拠を置く最大の黒海艦隊との合流が不可能になったということです。
西側にとっては、対露封じ込み、対露戦略としては、会心の満塁ホームラン的快挙です。
今これにより、エルドラン大統領の評価は、最高潮にアップするはずで、この会心の軍事的意思決定は、名実共、NATOの主要で重要な構成国家としての地位を得たことになるのは必須です。 さらには、この1件が、近未来にNATOとEUの垣根を超えるターニングポイントになるかも知れません。
この地域でエルドアン・トルコが、存在感を増大させることにより、中東地域への影響力も同時に強化される効果があり、トルコ、イスラエル、サウジとの連携で中東で新たな対イラン勢力、対イラン包囲網にも繋がるかも知れません。
何よりもトルコは親日国家で、1890年(明治23年)にオスマン・トルコ帝国海軍軍艦エルトゥールル号遭難(紀州沖)で、当時の日本の民間人や政府がその遭難救助に尽力し、後日、帝国海軍軍艦「比叡」「金剛」の両艦で、救出した「遭難者を送還した史実がありました。
それが125年の時空を超えて、1985年3月19日に、イスラム革命下のイラン・テヘランで取り残された邦人無差別攻撃が迫る中、トルコ航空が救助向かい.無事、 邦人の緊急脱出に取り残された邦人の救出に成功という壮挙を成し遂げました。
日本の民間航空機は、確か乗員組合の意向で救助機派遣ができず、当時の自衛隊法の規制で自衛隊機の運用もクソ野党の妨害と反対でままならない状況下であった。
トルコ航空機による救出劇は、125年の恩義と友情であった言われており、感動的なストーリーだ。
この一衣帯水とも言える友好関係のエルドアン・トルコがNATO。そしてEU内での特異なステータスが構築されることに大きな期待を持つものである。
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