海外ドラマ「オスマン」映画?TVドラマ?

メモ

トップ画像(アイキャッチ画像)はトプカピ宮殿

オスマン

最近、youtubで興味深く視聴している海外ドラマが「オスマン」です。

昨夜視聴したもの。。はめ込み画像です。。

世界史ファンですので、オスママントルコ建国のオスマンのドラマであることは簡単に想像できます。

使用している言語がトルコ語かも知れません。

ということはトルコで制作されたドラマかもしれませんが、セットは、日本の時代劇レベルで、明らかにハリウッド的とは言い難く、さりとて、スペインで撮影され制作されたマカロニ・ウェスタンと比較すれば、はるかに制作資金を使っているような印象が伝わってきて、#4~#6あたりから、結構ハマります。

世界史のトルコ

世界史で受験したこともあり、トルコといえば、「セルジューク・トルコ」「オスマン・トルコ」と近現代史のトルコでは「青年トルコ人革命」と言った3っつのキーワードが浮かびますが、オスマン・トルコ・1299~1932という記憶から、633年の王朝であったとことから、中東、小アジア、地中海世界、旧東欧、バルカン半島での覇者とする認識です。

オスマンの軍楽隊・行進曲/現・トルコ軍楽隊行進曲

親日国であり、個人的にはオスマンの軍楽隊・行進曲「ジェッディン・デデン」は大好きです。

クラッシクな画像を取り込んだ「ジェッディン・デデン」がヒットしたのでシェアします。

元気が出る、気合が入る、勇猛果敢になる曲にイメージの典型で、モーツアルトのピアノ曲「トルコ行進曲」の印象とは全く異質です(個人的印象)

日本史・中国史との対照

さて633年王朝を日本史、中国史と対照してみます。

1299年建国は、日本史では鎌倉時代末期、中国大陸では南宋滅亡が1279年で「元」に変わります。

そして、ドラマ「オスマン」には、「モンゴル軍」「モンゴル兵」「(ナンチャラ)ハン(国)」がドラマの会話に登場しますので、単なる、帝国の建国ドラマとは趣をことにします。

建国から633年経過した1932年、極東ではこんなことが。。

建国633年経過した1932年、日本史では5.15事件、大陸では満州帝国成立と蒋介石政権と汪兆銘政権が並立しそこに中華ソビエト(中国共産党の原型)が三つ巴、日本を加えるなら4つ巴の均衡状態になります。

徳川幕府が「徳川三百年」といわれて、世界史的には長期の安定がいわれておりますが、アジア大陸に西端には633年王朝のオスマン・トルコがあったことを、単に教科書的記載を超えて認識する価値はアリと思います。

オスマン・トルコ創生時期、小アジア東方・東北にはモンゴル支配があり、オスマン・トルコはボスラス海峡を挟んで、バルカン半島社会との衝突がありビザンチン・東ローマ帝国を飲み込み、黒海周辺から旧東欧とオーストリアで攻め入っており、バルカン半島史、旧東欧史に表裏一体的に記載されるキーワード「スラブ文化圏」と併記される関係を形成しています。

個人的メモ

個人的に、21年4月以降、バルカン半島史に興味を持ち、その表層をネットで検索して、復数のキワードをインプットできました。

そして、バルカン半島に興味を持つとその派生として、オーストリア帝国、東ローマ帝国、ドナウ川、スロバキア、ハンガリー、旧ユーゴスライビア、トルコ、ビザンチン、ルーマニア、ブルガリア、黒海西岸、スラブ民族、モンゴル、といったキーワードとのリンクが派生し、それらが複層的なリンクで、つながりますから、興味が尽きません。

日本との関わり合い

トルコが親日国というのは、以下の二点の理由を上げられます。

その一が、明治時代に、1890年トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で遭難事故での救助で、

そのニが、トルコの宿敵・ロシアと日露戦争で勝利したことによるものです。

バルカン半島史に露出トルコ

バルカン半島近現代史コンテンツ視聴資料(バルカンメモ・アンチョコ的備忘録)
世界史が得意中の得意でも、バルカン近現代史は、能書きタレりには、かなり敷居が高い。そこでアンチョコを作成してみた。
バルカン半島ノート・個人ユーズの備忘録
記憶では7~8年前に視聴した県政史研究者・倉山 満氏の解説動画を検索し、自分の備忘録としてネット空間に保存アップを意図としたもの。 繰り返して、この前後のアンチョコ記事と併読すれば、理解しやすいと勝手にかんがえてみたページです。

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